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儚き者たち 2 ②

自分の中に突如として沸き起こる怒り。
その度に何かに突き動かされるように、周りに対して攻撃的になる。

そんな自分に疲れ果て、怒りの感情を抑え込むことに成功した私は、無味乾燥な毎日を送っていた。

感情が凍てついてしまうと、そのことにすら気づけなくて、淡々と日々をロボットのように過ごしていることに、何の不満もなかった。

自分の中に沸き起こる怒りが、憑依霊によるものだとわかってから、浄霊を試みたが、楽になるのは数日だけ。

一体どのくらいの霊が憑いていたのかはわからない。
浄霊の後、体が軽くなるというより、気分が明るくなることの方が多かった。

何度か浄霊をしてもらったのだが、結果はいつも同じで、数日経てばもとの状態に戻ってしまう。そんなことを繰り返していた。

ただ、ほんの数日でも、憑依から抜け出せると、自分が置かれている現状の異様さに気が付くことができた。

まず鏡に映る自分の表情が気になった。
虚ろなのだ。
全く生気がない。

浄霊をして、霊が消えたから気づけたことだったが、霊が消えても私に生気を感じることはできなかった。

束の間の明るい気分を取り戻した後は、元の無感情な自分に戻ってしまうのだが、戻ってしまってもしばらくは、戻ったことに気がつけない。
ある時ふと閉塞感を感じて、霊に取り巻かれた状態に気が付く。
ただ、閉塞感を感じることができるくらいには、憑依された状態の中で自我を取り戻しつつあった。

霊能者には、「土地の因縁が…」「先祖の因縁が…」など、お決まりのセリフを言われる。祈祷なり浄霊なりを頼むも、一度では済まず、何度も何度もやらないと効果がないと言う。

正直なところ、そんな金銭的余裕なんてなかった。

何人かの霊能者に見てもらったけれど、結局なんの解決にも至らず、土地と先祖のことをみな口を揃えたように言う。

霊能者ではなく、お寺ではどうかと、霊障関係を扱うお寺に相談しに行ったのだが、「私には手に負えない」とある意味良心的に断られた。
出来もしないのに、安易に引き受けられるよりよっぽどいい。

かといって、じゃあどうしたら良いのか、全くわからない。

このままじゃいけない。
そう思ったのは、電車がホームに入ってくる線路に引きづりこまれそうになったからだった。
今では線路内に立ち入れないようにホームドアがついている駅が多いが、当時はまだまだ少なかった。

ふらふらと線路に引き寄せられるように歩き出す。
ホームに電車が入ってくる音が聞こえる。

ふと足が止まった。
「危ない」と認識したからではなく、ただなんとなく足を止めたのだが、気が付いたら白線を越えていた。
私はベンチに座っていたはずでは…。ほんの数秒のことだけれど、まったく覚えていなかった。

このことがあってから、憑依について真剣に取り組むことになった。


気の流れが良い場所に行くと祓える。

そう聞いたことがある。
神社などもそれに当たるのだろう。
ホテルのラウンジも、風水を取り入れて設計されていたりするので、そういったところを活用すると良いのだとか。

時間の許す限り、そういった場所に出かけて行った。
その場所に着いたからといって、すぐに体が楽になるとか気分が明るくなるわけではないが、1時間くらい居ると、ふと「もう大丈夫」と思えるのだ。
鈍っていた頭の回転も、少しは回りだす。

憑依されていて困るのは、感情が制御できないこともあるが、思考が全く働かなくなってしまうことだった。

憑いては外し、憑いては外しを繰り返す中で、霊能者たちが言っていた「土地」と「先祖」について調べる気持ち的ゆとりが出てきた。

といっても、調べるまでもなく母から聞かされていたことだったが。
それでも郷土史などから探っていくにつれて、導かれるようにして、1人の霊能者と出会った。

土地や先祖のことが解決したわけではない。
ただ解決しようと動き出したことで、見えない何かの力が働いたのだと思う。

土地の因縁の紐解き、出会った霊能者の話は長くなるので別の記事に綴るが、この出会いが自分を取り戻すきっかけとなり、儚き者たちとの関わりを考えさせることに繋がった。









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