親になる人に知ってほしい

子どもには、何事も、なるべく早く真実を伝えてあげてほしい。
本当にそう思う。

半年ほど前に急逝した兄。なんで精神病になってしまったんだろうって、私はずっと不思議で仕方がなかった。

3歳年の離れた兄とは、思春期もまあ被っていて。そのころには発病し始めていた。私は原因をたくさん考えた。

性格が優しすぎて学校でいじめられていたせいなのか、

両親が不仲すぎて毎日喧嘩が続く日々に耐えられなかったせいなのか、

10歳くらいの頃に自転車で転んで頭をとても激しく打ったのに両親が病院に
連れて行かなかったせいなのか、

母方の親族が昔から農家で農薬をたくさん接種してきたせいなのか、

父方の親族が鉱山で昔から悪い空気をたくさん吸ってきたせいなのか、

それとも難病とかと同じで急に誰かがなっちゃうものなのか。

子どものころから考えていて、だから変な理由も↑にはたくさんある。笑っていただいてよろしい。

医師の診断はみんな違った。
主治医は何回も変わった。

しかしいつからか、おおむね統合失調症だろうと。
とはいえ、原因は不明ですと。
両親からは、ずっとそう聞いていた。

末っ子の私は、お見舞いにいっても外来に行っても、病室などに入ることは許されなかった。

あんな場所、行くもんじゃない。
それが母の口癖だった。

私はずっと理由を考えていた。なんで、世界一やさしい人間なはずの私の兄がこんな病気なんだろうと。

私もいつかふとした拍子に、同じ病気になる遺伝子を持っているのだろうかとも考えた。

恋愛も、子供も、ずっと怖くてあんまり考えたくなかった。自分の子供が兄のような病気になってしまう可能性があったら、それはとても辛くて耐えられないと思った。そんな病気の子供の暮らしを守るためであっても、どうしてもうまく協力することができない夫婦が存在することも残念で、結婚というものに意味も見いだせなかった。

たぶん、人生のいままでのいろんな選択の際に、兄の病気と、その原因が不明であること、将来は経済的にも家庭的にも兄を守る覚悟を抱えていることは、少なからず影響があった。

しかし、兄の通夜の前に、やっと父が教えてくれた。

兄は生まれるときに事故があって、それで一度は心臓も止まって血液の流れが滞って、指まで青くなったんだと。地元の大きな病院での出産の際に、担当の研修医がいろいろやらかした結果のことで、父はその研修医と大喧嘩をしたそうだ。

そのあと必死の起死回生。口の悪い父に言わせれば、兄はもはやいっぺん死んで生き返ったのだと。

のちに鑑識として働き続けた父は、追々その出来事の正式な名前も知り、本当に起きてはならないことだったと知ったらしい。自分の知識のなさ、息子を守れなかったふがいなさ、後悔しかないと。泣きながら語った。

兄が子供のころはいたってすくすくと元気に育ち、思春期の脳が大きく成長する活発な時期に発病したのは、致し方なかったことだといった。

そんなことってある?
言葉にならないくらい悲しかったし怒りもうまれた。

兄の人生はまわりの大人たちに荒らされただけのようなかんじで許し難い。

同じ親の元に生まれたのに、3人生まれたのに、1人だけ違いすぎて辛い。

そして当人が亡くなるまで事実を教えてもらえてなかったことには、憤りと呆れを覚えた。遅くても20歳くらいの頃に教えて欲しかった。

本人は回復のために頑張っていて、「良くなりたいんです!」と主治医に訴えていた。そうでなくて、自力で働けていた時期などがあって、それで十分だったのに。生まれた直後に与えられたハンデを抱えている人なりに生きれる道があっただろうに。周りの考え方も変わったかもしれないのに。

「病気を治したい」と主治医に一緒になって訴え続けていた母にも疑問が残る。現実を受け入れられなくて、治るものと思っていたのか。そうと思わなければ介護を続けられなかったのか。

振り返れば振り返るほど現実が重く、混乱してくる。

とはいえ、本当に生まれた時の事故だけが発病の原因かもわからないのかもしれない。私は元主治医に聞いたわけではないし、両親がこの話を主治医にちゃんとしていた上で兄の闘病を支えていたのかもわからない。

ただ、家族として一緒に兄を支えてきていて、さらには両親が他界したあとには兄を支える覚悟だった私と長兄に、あまりにも無礼な両親ではないだろうか。ほとほと愛想が尽きる。

子どもと信頼関係を築きたいなら、それなりの対話が必要で、真実を伝える努力なども必要だと思う。親子スペシャルなんてない。結局は別々の人間なので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?