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そもそもこのnoteって何のためよ?

時代の変化と見えづらくなったこと

今年、華々しく三十路イヤーを迎えたわけです。そうです。この世界にしみずが生まれた30周年記念なわけです。
そんな僕は、男性ジェンダーをあてがわれ、この人生を生きる過程で「男性」として接せられることに対し、現在のところは違和が生じていない同性愛者でございます。詰まるところ、ゲイです✌️
最近は、カミングアウトというよりも、自分の自己紹介の中で「好きな野菜はなすです。あ、男性のパートナーがいます。」ぐらいの感覚です。そんな自己紹介をすると、たまにこんなことを言われるわけ。

「なんでわざわざ性的少数者であることを自己紹介で言うの?」

って。そんなの、言わなきゃ自動的に異性愛者として扱われるからに決まってるじゃないですか。こちとら先手を打たなきゃ、下手すると大切なパートナーの存在を隠して生活しなくちゃならない。それは僕にとってとても居心地が悪いのです☝️
他にもこんなことを言われることも。

「いい時代になったよね。」

うん、わかる、わかるよ。言いたいことはよーくわかります。あなたに「悪意」がないこともわかっているつもりです。それに、僕よりも上の世代の方々は、より苛烈な蔑視に晒され、時に直接的な暴力にも遭ってきた。それに比して現在は、性的少数者の存在は可視化されてきたし、この社会は「受け入れる」ことを善とし始めてきているのは事実。(それに対するバックラッシュも後をたちませんが…)
そうなんだけど、その「受け入れる」ということに、めんどくさい僕なんかは引っ掛かるわけです。え、そもそも異性愛者の側には、誰かを好きになる過程でそういうステップあるの?「実は異性愛者なんだ」「そうなんだ、私はそういうの大丈夫だよ。他にも異性愛者の友だちいるし。」みたいなことあります?
こんな話をしていると思い出すのが、XがまだTwitterで、僕のアカウントが作りたてホヤホヤだった頃、こんな投稿があったことを鮮烈に記憶しています。

「とある生徒が『そういう人がいてもいいと思います』と発言したのに対して、先生は『あなたの承認など必要ないのです。』と返した。」

という投稿。すみませんね、なんせ15年ぐらい前の記憶だもんで、言葉の表現はちょっと違うかもだけど、ニュアンスはこんな感じです。
この投稿を僕は即座に「いいね」したわけです。でも、最初の感想としては、「冷たい先生だなあ。」と、どちらかと言えば、先生に対して冷ややかな目を送ったわけです。(これには僕の教師観も含まれるので、それはまた別の機会に…)
でも、今の僕が仮に僕の持っている教員免許を行使して教員になり、同じような場面に巡り合ったら、同じような問いを教室に返すと思う。なぜある特定の性質を持ち、それが多数派でないとされた時に、その人はまず承認を得なくてはならないのか。むしろ、その権力の不均衡自体が問題なのではないかと思うわけです。

ああ、脱線に脱線を重ねてなんの話だか分からんくなってきた。
僕は、こういう社会的マイノリティが日常の中で感じる抑圧的な部分は、こうした「受容される」ということを通して、むしろ、見えづらくなっていっていると感じるわけです。何が問題なのか、何が解決されていないのか、それが議論しづらくなっていると思うのです。
それに加えて、時代が変容し、受け入れられている時代になったからといって、自分のセクシュアリティに対して皆がオープンになったと考えるのは、時期尚早だと思うわけです。例えば、メディア等で性的少数者を目にする機会が増えても、僕と出会って初めて「そういう人」に出会いましたなんて人は、肌感ですがまあまあいるわけです。つまり、まだまだ自分の社会的マイノリティという性質によって、生きづらさを抱え、それを自分の身体より外に出せずにいる人は、この日本という地域においてまだまだいると考えているわけです。
僕は、同性愛者としてではなく、僕が「しみず」として生きられるようになる過程で、何を考えてきたのかを発信していきたい。しかし、おそらくこの後に続く記事は、皆さんが思っているようないわゆる「生産的」なものではありません。驚くほど「くだらない」けれども、僕の日常の中で僕自身との対話で獲得してきた思考を言語化する場所です。
でも、その「くだらない」こと、「生産的」であろうとしないことにこそ、何か大切なことがあると信じてやまないから困ったもんです。

筆者「しみず」のちょー簡単な自己紹介

「何も解決しようとしないアラサーゲイの知恵袋」の筆者であるしみずです。
僕は、東京の真ん中あたりに1994年の水曜日、早朝に初登場しました。ありがたいことに大学まで通わせてもらいました。大学3年で学問に魅了され、卒業後は福井の専門職大学院に進学。もしそこで研究テーマが見つからなければ就職することを決めていましたが、研究したいことが決まり、次は北海道の修士課程に入学。現在は、同じ北海道の大学の博士課程に在籍しております。

好きな野菜は、これまで圧倒的1位の座に「なす」がいたわけですけど、最近は「れんこん」がすごい勢いでなすを追い越そうとしてます。

死ぬ前に見たい映画は「かもめ食堂」で、欲を言うならば「めがね」とドラマの「すいか」を見返す余裕をくださいとお願いしているところです。DVDもサントラも購入済みです。よろしくお願いします。高校生の時、初めてかもめ食堂を鑑賞して、なぜだか涙が止まらなかった。そのわけが、僕は知りたい。ちなみに、目指すのは小林聡美さんやもたいまさこさん、そして片桐はいりさんのような人になりたい。あと、小泉今日子さんもでした。「すいか」の中で「わたしは、ツチノコを見ましたー」と叫ぶシーン、一生忘れないです。最高でした。

好きな漢字は「乗」で、これは上の部分を完成させた後に、その中心に一直線の棒を当てがい、最後にバランスを取るかのように二本の棒をはらう感じが、なんとも最高なわけです。ちなみに、小3でこの漢字を習い、遅くとも中学2年生ごろまでには「乗」が好きでしたから、ええ。それを余すことなく、思う存分自分の外に表現するようになったのは、25歳ぐらいの時です。

趣味は、散歩です。ちなみに現役時代は、隅田川沿いを日本橋と北千住を往復して7時間ぐらい歩くぐらいには、散歩好きです。川沿いに弱いです。
特技は、方向音痴の逆です。誰か名前をつけてください。ただ、気をつけて欲しいのが、方角で話を進めないでください。「太陽があそこにあるから、西はこっちだ」みたいなのやめてください。ジャングルで遭難経験でもあんの?と疑いたくなります。こっちの方位磁石には、「こっち」「てことはこっち」「つまり向こう」「こっちは歩いてきた道」しか書いてありません。東西南北なんて、小学校3年生の教室に貼ってあっただけです。やめてください。

わかります。聞きたいことは、高校時代の部活ですよね。よくぞ聞いてくれました。何を隠そう「女子バレーボール部マネージャー兼プレイヤー」でした。このことについては、いつか別途記事にしますので、そちらを読んでください。

最後に

まず、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
僕は、真面目にふざけたいのです。でも、まあまあ真面目です。研究テーマに「社会正義」を掲げるほどには、真面目です。
それに、僕という人間は政治的な人間でもあります。中立なんてこと、僕にはあり得ないのです。でも、全員が僕と同じように考えろとも思わない。それは全体主義であり、民主主義ではないから。まだまだ、他者と自己の境界線で葛藤するし、自分の研究をどうやって社会に還元していけるのか、還元可能なのかどうか、とても悩みます。でも、たとえ答えが出なかったとしても、僕は今できることをやり続けることで前に進むのみです✌️
このnoteもその一つだと思います。誰かに届くことを願って、また書きに戻ってくるので、「スキ」や「コメント」などもらえたらとても嬉しいです。

よろしくどうぞ。

しみず

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