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お土産


「お届け物があるんだけど、明日○時家いる?」
近くに住む友人から連絡があった。

友人は、少しだけ遅れた誕生日プレゼントを届けに来てくれた。家が遠いわけではないし、彼女の仕事帰りの道だから立ち寄れる。それでも、それでも。わざわざこの時間に会いに来てくれたこと、わざわざ誕生日プレゼントを用意してくれたこと。聞いたら旅行先で買ってきてくれたんだって。

実はこの日、仕事で最低な日だった。この日というか最近良くない。調子が悪いのかなんなのか分からないけれど、こんなことある?ということばかりに直面してはぐったりしている。
誰も助けてくれない訳じゃない。もちろん。それでも自分の気持ちの折り合いは自分で付けていかなきゃいけない。

そんなことを知る訳もない友人がふと会いに来てくれて、夏の夜風に当たりながらいろんな話をした。近況もそこそこに、今考えていること、思っていること、暮らしのこと、これからのこと、昔のこと。

物心ついた頃からの付き合いだから今更関係性について何を言うでもないけど、この日のわたしは彼女に救われた。自分じゃなきゃ折り合いがつけられないと思っていた鬱々とした気持ちを、なかったことにしないまま、違う色を差してくれたようだった。そんなこと、彼女じゃなきゃできなかった。




はたまた別の日。相変わらず仕事は最低だった。夏休みを取って帰ってきていた友人と数年ぶりに会った。

私たちの話をした。わたしと、わたし同士の話をずっとしていた。最近ああだよね、○○らしいじゃん、ではない。私たちの間に存在しない「誰か」の話も「世間」の話もせず、ただただ私たちの話をした。

ふと気づく。わたしが欲しているのは、大切な人がいう「わたし」の話であって、無意識に見漁ってしまうSNSの「誰か」の話なんかじゃない。
「ごめんね私ばっかり話しちゃって」なんて本当に要らない。私は、あなたの「わたし」の話が聞きたいんです。

だからお互いに「わたし」と「わたし」の話をして美味しいご飯を食べる時間にすごく癒されたのだ。ちいさくて余計な棘を抱えているのに、何かが足りなくて痩せ細ったこころが、ふわっとまるくなっていくみたいに。2時間しか経っていないのにもう十分こころが満ち足りていたのだ。さっきから語尾がハム太郎になってしまうな。

休日はついごろんとしてしまう私に、彼女は言った。
「平日へとへとで体が疲れ切っていても、休日におしゃれして友達と出かけていると回復する。ストレス発散なのかもしれない。身体は疲れているはずなのに、心が回復すると身体も戻っていく」
すごく頷けるし、すごく好きだな、いいなと思った。そう思いながらやはりごろんとしてしまうのだけれど、人には人の休日があるのだ。そうなのだよ、ハム太郎。




はたまた別の日。高校まで全部一緒だった友人たちとドライブへ。なに、お盆休みって大好きな友人たちみんな帰ってくるじゃん。すごい恩恵。

こうして久しぶりに集まっても変わらなくて、やっぱり私たちのままだった。私たちの間には共有してきた時間と思い出が思い出せないほどあった。帰り道に炭酸ジュースを選んでいた私たちは、自分の車を持って好きなお店までドライブし、コーヒーをブラックで飲めるようになった。中煎りが好きだな、なんてそれっぽいことを言って笑った。

お互いの夏休みが長いだの短いだのワイワイしていたら、「ごゆっくり、お過ごしくださいね」と笑ってくれた店員さんがとても良かった。マニュアルだったのかもしれない。でも私もそういう言葉を、あの温度で言えるようになりたいなと思うくらいの素敵があった。

そうして恩師に会いに行った。先生は私たちの姿を見て、笑って泣いていた。「こんな風に会いに来てくれて嬉しい」と、そんな先生の顔がいちばんのお土産だった。すこし小さくなって、ちょっと同じことを何度か聞いていたけど、私たちの大好きな先生のままだった。私たちがこうして今もしっかり暮らしているのは、先生がいつもここに居てくれたからなんですよ。私たちを見ていてくれたからです。会いに来ることで先生が喜んでくれるなら、また何年後だって来ますから、元気でいてください。



じゃあ、またね。今日はありがとう。私の大切なひとたちは帰ってくるならちゃんと連絡しなさいよ、どうせごろんと溶けているだけだからすぐ会えるよ。
車とカメラと美味しいご飯用意して待ってるから。もうしばらくは、ここで暮らしているから。

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