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「ゆめうつつ草紙」(2)

さて、「ゆめうつつ草紙」全15作品の小説を読んだ訳だが
まぁすごい。
度肝を抜かれた。

読む前は楽しんで読めればいいやなんて思っていたのに
結局何か書かずにはいられなかった。

各作品ごとに軽く感想を述べるだけでは足りず
(中には一章につき一言で終わる感想もあったが)、
ここで改めて1冊まるまる思ったことを記すことにした。

しばしまだお付き合いを。

「ゆめうつつ草紙」

まず文章が綺麗。
読んでて本当に気持ちがいい。
詩というより唄?と錯覚してしまう。
最初は普通に読んでいたのに、無意識に音読をしている自分に驚いた。
もう文字ひとつひとつを堪能したくなる文章構成。
愛おしさに思いが溢れてしまう。
作者のあとがきに、
「書いて、口に出して読んでを繰り返して出来た文章」と記載があった。
作者が音読しながら練り上げた文章なら
読者である我々はどうして音読せずにはいられようか。

次に、作者へ一言。
読者の人間性を丸裸にするのやめて欲しい(褒め殺し)。
やめてくれ、本当に。

「誰かが誰かを」「3人めの天使」「消す魔術師」「秘密」
この4つの話に私の心は辱められた。
(繰り返すが、褒めている。)
人間(とここでは一括りにする)の表出しにくい欲望を間接的に描いているこの4話。
その4話を軸にして小説全体から受けた印象を、
あ〜〜…書くぞ…恥ずかしいけど書く。

私はそうだが、他にも思い当たる人はいるかもしれない人間の性質。
勝手に人に期待したり、
次は当然こうなるだろうって予想したり、
誰も見てなければこれくらいはいいかも、なんていう
愚鈍さ、慢心、怠惰。
普段はひたがくしにして善人を演じていても、リラックスして過ごしてる時にいきなりこう本性(と認めたくないこと)を暴かれると、
自分の足場がガタガタ崩れていって、自分の生き様に(言葉は強いけど)絶望してしまう。

今さ、「絶望」って言葉が出たから、次は「希望」って言葉を使うと思うじゃん?


使わないよ〜〜〜〜ん
(「ぜつぼうの濁点」ネタ)

ってこういうことだよな。
本当にすごい、作者。

次に、上に関連して抱いた感想を書く。
「読書をすると、自分の分からないことが多いことにどんどん気づくことになる!結果謙虚になれる!」なんていう話をよく聞く。
だが私はどちらかというと、知識を取り入れたことに満足し慢心する人間だ。そんな自分の性格に少し引っ掛かってはいた。
それゆえか分からないが、私はこの短編集を読んで自分を恥じた。
他人に対する態度や本を読んだだけでもつ慢心、自身の怠惰な態度に向き合わされたからだ。
嗚呼私はなんてことを考えていたんだ、自分はとてつもないレベルの自意識過剰野郎じゃねえかと恥ずかしくなった。


この気づきはぐさりと心を突いた。痛かった。
この文章を描きながら思う。
これからはもっと目の前で起こっていることに対して想像力を働かせようと。
本を読んだところで、それはただ読んだ(&理解した)という事実があるだけだ。それ以上の何でもない。
もっとリラックスして物事を受け入れて広げて楽しもう。

最後に。
もうこの小説最高!よかった!
というのが実の所は私の読み終わった直後の感想である。
ただこの「最高」、私の最近の口癖となりチープで使いやすい言葉になってしまっている。
できる限りこの言葉を使いたくなくて避けてきたが、最高なもんは最高だったわ。最高!
友人、サンキュー!

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