母方祖母のルーツにはこんな口伝がありました。
「いつか釜石へ行くことがあったならば、菊池〇〇の像を見てきて欲しい」
祖母が曽祖母から聞いていたという話で、明確な情報は全くわからぬまま何となく私の代まで伝わってきた言葉です。
母方祖母のルーツは岩手県にありますが、母はもちろん、祖母も釜石へ行ったことはありません。
曽祖母は岩手で生まれ、幼い頃、両親とともに北海道に渡っています。
では、菊池〇〇とは誰なのでしょうか。
一体何の銅像なのでしょうか。
ルーツの一つ菊池姓
戸籍を取得することで岩手県での本籍地と、7代前の先祖の名前まで確認することができました
母の母(祖母)の母(曽祖母)の母(高祖母)の旧姓が菊池であり、
菊池市蔵(五世祖父)、さらには菊池力蔵(六世祖父)まで判明しました。
釜石に銅像があると聞いていたにも関わらす、本籍地は東和賀郡という、釜石よりもずっと内陸、現在の北上市にあたる場所です。
釜石に繋がる何かヒントになる記載ははないかと、いつものように戸籍を一つ一つ読み込んでいきました。
釜石とのつながり
以前別の記事にも書きましたが、当時は養嗣子として家を出入りするケースがしばしばみられます。
市蔵(五世祖父)の息子の一人が釜石村の猪又家の養嗣子となっていることがわかりました。
また、市蔵自身も、死亡届は上閉伊郡釜石村で提出されています。
本籍地とは別の場所、つまり釜石村で生活していたことが想像されます。
それがいつからなのかは戸籍の情報だけではわかりませんが、これは有力な情報と言えそうです。
この戸籍も、よくぞ残っていてくれたというほど、たくさんの情報を含んでいました。
七世代前の先祖のお名前も判明した上に、生まれは文化11年、西暦で言うと1811年です。
明治19年式戸籍内で確認できる最古の年号はおよそ文化、文政です。
その前は享和、これはなかなかお目にかかれないようです。
では菊池〇〇とは、誰なのでしょう。
菊池市蔵か力蔵あたりを指すのでしょうか。
そもそも何の銅像なのか。
銅像が立つくらいだとすると、それなりの功績を残した人物であることは想像に難くありません。
いよいよ私の先祖にも偉人登場するかも知れないと、心躍ります。
実際に現地に行って調査してみたいところですが、そう簡単に行ける距離ではありませんし、何の情報も持っていない中でぶらぶら釜石を捜索なんてことも現実的ではありません。
先祖調査をしている方々によると、図書館リファレンスサービスを有効活用している方を多く見かけたので、私もこのサービスを利用することにしました。
県外者であっても、その県に関することであれば調査依頼ができるというのです。
何という便利なサービスでしょう。
ダメもとで調査依頼してみることにしました。
岩手県立図書館 リファレンスによる回答
実に曖昧な質問を投げかけたものです・・・
こんな質問を投げかけ、一週間。
回答のメールが届きます。
お力になれず申し訳ありません、と謝罪の言葉が綴られていたものの、
「菊池(地)市蔵」らが明治三陸津波の死者を追弔するために鋳造した銅像についての情報を参考として提供してくださったのです。
明治三陸津波…追悼…
「お探しの先祖と同一の方かという点については確認できませんでした」との文言が添えられていたけれど、直感的に、先祖である菊池市蔵に違いないと、確信に近い感覚を覚えました。
しかし、同時に全く予期していなかった回答にしばらく呆然としてしまいました。
「明治三陸津波の死者を追悼」した先祖がいる・・・
これはもう少し調査を進めなければなりません。
急に厳粛な気持ちになり、またまたミッションを仰せつかった気がしてきました。
続く。
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#三陸海岸 #祈り