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★『きょうはよいてんき』ナニー・ホグロギアン
よいお天気の日に、ミルクを舐めてしまったばっかりに…
揺れ幅のひどい一日を送ることになったきつねのお話です。
燦々と輝く黄金色の陽の光を気持ちよさそうに浴びながら、楽しそうに歩く
きつねの姿…そこには文字通り、一点の曇りもなく、暖かく祝福された一日が約束されているようでした。
ところがこのきつねさん、これからとんでもない事態に陥ってしまいます。
表紙に描かれた彼(彼女)はまだ知る由もないのですが…;;
![](https://assets.st-note.com/img/1670207650446-6ESrHAZZWx.jpg)
よいお天気の日、大きな森のむこうから、散歩にやってきたきつねは、あんまりあるいたので、もうのどがからから。
きつねは、薪拾いに来たおばあさんのミルクを思わずペロペロ舐めはじめ、
やがてミルクの壺は空っぽに…怒ったおばあさんは、なんと!
きつねのしっぽをナイフできりとってしまいます。
もう、この時点で、私は恐怖のどん底です;;
これを読んだ子どもたちは怖くないんだろうか…。
しかも、きつねたるもの、おめおめとおばあさんに捕まるとは!
イソップ魂はどこへいった、と筋違いな疑問も出てきます。
(まあイソップでもなかなかに辛い目にはあっているのですが)
動物にとって、しっぽを切られるということは、肉体的に耐えられないほど
痛いもの「ではない」のでしょうか…いやいや、そんなはずはない。
きっと痛いにちがいありません。
どころが、当のきつねはそんな肉体的な痛みより「なかまから ばかにされる」から、しっぽを返して、とおばあさんに懇願するのです(そこ?)。
なんか、倒錯してませんか?…と思うのですが、しっぽを無くす話は、
アリソン・アトリーの『グレイ・ラビットのおはなし』の中にも出てきて、
それもたしか、食べ物を得る情報のために、フクロウに渡さなければならなかったはずです。
グレイ・ラビットも、自分のしっぽを取り返すために、代わりの価値のあるものを、フクロウに差し出していたと思います。
お話に出てくる動物にとって、しっぽは大切な自分の一部で、それと同程度に大事なものと交換する手段に使われているようです。
…恐ろしいことです…;;
リアルの痛みの真実はともかく、お話の世界では、動物にとってしっぽを無くして、それを取り返すことは、たいへんな労力と勇気を必要とするようです。さて、このお話のきつねも、しっぽを取り返すまで、かなりの努力が必要でした。
まずミルクを出す牛に頼むのですが、えさになる草をもってきたらね、と条件を出してきます。
そして今度は草に頼みにいったら、草は水を要求します。
さらに小川に水をくませてもらおうとすると、小川は水差しをもってきたらね、と応えます。
こんなふうに、誰もみな、タダではきつねが欲しいものを渡しません。
自然の摂理というものなのでしょうか。厳しい世界ですね…。
これはキリがないなぁ…とハラハラしながらページをめくっていくと、
きつねもだんだん元気が無くなって、とうとう泣き出してしまいます。
すると小麦を売るこなひきのおじいさんと出会い、このおじいさんが「いいひと」でした!
この出会いを分水嶺として物語がするすると好転していき、最終的にきつねはしっぽをおばあさんから返してもらうことができたのでした。
よいお天気の日に、思わずミルクをなめてしまったばっかりに、とんだ一日になりましたが、お日様が沈むころ、なんとか危機は去り、きつねもなかまのところへ帰ることができました。
は~ほんとによかった;;
と安心して(一応)、親子で眠りにつける物語です。
たしかにめでたし、めでたし、なのですが、最初の私の疑問は解けないままです。しっぽが切られて痛くないのでしょうか(しつこい)。
一回切られて縫い付ければ大丈夫なのでしょうか。
哺乳類はトカゲとは違うと思うのですが…。
おばあさん、怖いですね…信賞必罰?
それに比べておじいさん、慈悲深いです。
この意味するところは…とか、大人はつい考えてしまうのですが。
子どもが気にならないところで(たぶん)、妙な心配が残った物語でしたが、終わり良ければ、すべて良し!なのでしょうね^^
そういうことにしておきましょう。
おひさまと、きつねの毛並みが黄色く輝く暖かい絵本です。
アメリカの絵本の賞・コルデコット賞を1972年に受賞しました。
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