見出し画像

リアリティが無いリアリティ

終戦記念日。遠い戦争に思いを馳せる人も多い中、インターネットでは女DJの乳を触った触らないの話題が紛糾していた。日本は平和である。

NHKスペシャルでは「Z世代と戦争」と題した特集番組が組まれていた。10~20代の若い世代が戦争について語る、昔あった「しゃべり場」みたいな感じの番組だった。正直、見ていてハラハラしてしまうような場面もあったが、ああいう場に立って考えを主張出来るのは立派だと思う。自分だったら20代はおろか今でも考えをまとめて話せるかは怪しいだろう。登壇した若者たちの言葉を小泉悠さんらゲストや司会者のアナウンサーが上手く拾い上げてくれていて、見やすい構成になっていた。

話題を提起するための設問がふわっとしている点は引っ掛かった。これは平和教育全般に昔から感じている。番組の前半にも「戦争に巻き込まれたらどうする?」というお題があったが、「逃げるor戦う」みたいなシンプルな二択で捉えてしまう。逃げるならどこに?戦うってどうやって?その辺までイメージ出来る人はおそらく少ないだろう。とはいえ、より具体的に仮想敵を設定した設問なんかでは迂闊に放送出来なくなりそうだ。
ただただ戦争はいけないもので怖いものである…というぼんやりしたイメージから一歩先へ踏み込むというのはやはり色々な意味で難しい。いざ戦うとなったときに「じゃあ小銃の使い方は分かりますか?」とか「使えたとして人に向かって撃てますか?」といったツッコミのある展開があった点は良かった。

番組の後半では、若い世代に戦争のリアリティをVRやアバターを使って伝えるための取り組みが紹介された。

3Dモデルのアバターで2Dの写真に入り込んだ様子は、PS初期のFF7のようだった。暴力や残虐性を助長し有害だと批判され続けたゲームに極めて似た表現手法が、戦争を語り継ぐ平和教育のために使われている。ゲームがそれだけ市民権を得たということでもあるかもしれないが、仮にこれに戦争のリアリティを伝える力があるとするなら、かつて有害と見做されたその影響力を肯定することになる。ゲーム文化を愛し守ってきた立場の人は複雑な気持ちになるかもしれないと思った。

水を差してしまうようではあるが、FFシリーズ最新作であり血生臭い暴力表現によってCERO:D指定となった『FF16』の美麗グラフィックが描き出す凄惨な戦場でも、肉薄するリアリティを感じるかといったらそうでもないものだ。だから、もしこの先この取り組みが技術的に大きく進歩しても「リアリティ」にはあまり繋がらないのではないかなと感じてしまった。制作者の人たちはああいったゲームをプレイすることはあるのだろうか。

そもそも「リアリティ」とは何なのかという話で、こと戦争の話においてはそこがふわっと宙に浮いたまま、誰も捉えられていないように見える。失われたリアリティを探し求めて彷徨うことが現代日本人のリアリティか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?