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人間より残酷なもの

2023年はうさぎ年ということで、うさぎ界隈は盛り上がったスタートを見せた。一方で、一部で懸念されていたペットの「うさぎブーム」を思わせるような出来事も目についているようだ。無残に捨てられ弱ったまま死んでしまったうさぎのツイートがTLに回ってきた。

ペットブームの盛り上がりには大抵、陰の部分がある。勢いで飼ってしまったため下調べが不十分で飼い切れなくなってしまったり、思っていたのと違ったとか懐かないとかトイレを覚えないなどといった、非常に無責任な理由によって手放されてしまうような事例が多く発生するのだ。

これは正確には「そういった情報が多く流れるようになる」と言った方がいいのかもしれない。動物の殺処分数(犬猫)を調べると、年々かなり順調なペースで減っているのが分かる。うさぎなどの小動物に関しては詳細な数字が分からないが、俯瞰して見ると捨てられるペットの数は明らかに減っていると言える。保護や里親などのために尽力してくれている人の活動が功を奏してか、拾い上げる側の人間も増えていることも見て取れる。SNSなどを介したネットの啓発活動もけっこう貢献しているのではないかと思う。

何を隠そう、我が家のジャンガリアンハムスター「ハム公」も里親引き取りで迎え入れられた一匹である。保護や譲渡といった仕組みが一般的になって久しいが、あると知らなければ里親にならずに店で買っていた(900円)だろう。 ペットショップも好きだから、買うのは買うので良いのだが。

ただ、実際の統計結果に対して、SNSは楽観的であることをいつまでも許さない。痛ましい事例がピンポイントで延々と流れてくるがゆえに一個人の目線だと減っているどころか増えていると感じてしまうし、捨てた人間への怒りと憎悪も必要以上に増幅されてしまう。そしてそれは大抵悲しみの表明に留まらず、怒りの裁きを下したくなる誘惑を仕掛けてくる。

身勝手な人間への怒りと憎悪がぐんぐん高まっていってしまうと、それはいずれ「ちゃんとした飼い主たち」にも矛先が向く。なぜなら、ペットを飼うということ自体が100%の善行ではないからだ。それは保護や里親にも言える。そもそもペットを飼わなければ捨てられるペットが出てくることもないし、人間の楽しみのために狭い檻や室内に閉じ込めて飼うなんて残酷な行いである。捨てるのは論外として、ペットの飼育自体もまた厳密には非道徳的な行いだ。

…もちろんこれは極論だが、道徳性を突き詰めていけばそうなる。現在は過激と見られているような一部の環境保護活動やヴィーガニズムが動物倫理や権利の主張をするにあたり、概ねこのような理論に立脚して多くの一般庶民が楽しむペット飼育をも批判の対象としている。現にペットショップの生体販売、純血種、動物園や水族館への批判といった動きで一般社会にその価値観を徐々に浸透する結果を上げている。今の私たちが持っている素朴な庶民感覚はけっこう隙だらけだ。

ペット好きの人間は基本的に心優しい。そして、か弱い小動物に対する無責任で愚かな人間の振る舞いには心底うんざりしていることだろう。だが身勝手な人間を野放しにすると世の中はろくなことにならないのと同じように、自分の中の攻撃的な感情もまた野放しにするとろくなことにならない。人を呪わば穴二つ。

捨てた人間よりも残酷なのは、運命である。うっかり番ったハムスターから間違って生まれてきたのに望まれて貰われたハム公が我が家にいて、生きている。かたや望まれて生まれて買われただろうに捨てられて命を失う動物もいる。

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