死が遠い世界でまったり緩和ケア
ふと後ろを振り向くと、死んだ人がいる
誰もが老いては死んでいく、あるいはいきなり幕を降ろされる
誰もが周りの人の死を経験している
祖父、中学のときの先生、高校の同級生、患者さんたくさん
誰もがそれぞれがみな、誰かが死ぬことについてわかっている
目次
❏みんな死ぬ過程をしらない
❏緩和ケアに興味をもったきっかけとか
❏そりゃみんな家で死にたいよ〜知ってる〜
❏「残された時間をどうすごしたいですか?」←酷すぎない????
❏大事なのは日常を取り戻すこと
❏おわりに
❏みんな死ぬ過程をしらない
死ぬことについてわかっているというのはどんなことだろうか?
親戚のお葬式の、棺の中のきれいな顔しか見たことがない人が大半だろう
「命が終わっている」点の状態を知っていても、
「命が終わりゆく」その経過についてはみんなあまり知らない
1950年代に家での看取りが病院での看取りと逆転した(たしか)
社会の流れとして家から死を遠ざけているし、
今は更に老いていく、弱っていく過程すら遠ざけている
❏緩和ケアに興味をもったきっかけとか
おばあちゃんっこ、おじいちゃんっこだったからか
もとより高齢者のためになりたいとうすぼんやりと思っていたが
関わることが増えるにつれて
違う時代を生きてきたひとたちのひとりひとりのドラマがとても大好きになった
卒論でもエリクソンの発達段階
(エリクソンさんが考えた、生まれてから死ぬまで人間がだいたいこんな感じでいい感じに成長していくよ、だめだったらこんな感じになるよという8つの状態のこと)
の老年期にある統合と絶望と終の住処について研究して、
自分の中の考えがより深まった。
❏そりゃみんな家で死にたいよ〜知ってる〜
「どこで死にたいか?」という問に対して
「家」と答えるのは当たり前だとおもう
でも実際はほとんどが病院で亡くなる
それは満足して亡くなってゆけるのだろうか
と、言うけれど
私が働き始めた病院は全然人が死ななかった
治療ができなくなったらハイさようなら、だった
これは別に病院が悪いわけではなくそういう役割の病院だったからで、
部品工場の一つだっただけということ
でもやっぱり関わった人たちは頑張って最後の治療をしようとしていたし、
辛い副作用があっても、
伸ばせる寿命が辛さに見合って無くても、
そもそも効くかわからなくても、
はたまた治験でプラセボに当たるかもしれなくても、
それでもがんばっていた
だからハイさよならしてもカルテを見て、「げんきかなあ」なんて思っていた
でもカルテを見たときには全員亡くなっているのだ
ハイさよならしたひとつき後にも
ひとりひとりの顔や話したことを思い出しながら、
あのひとは、
失意や、絶望や、かなしみやつらさの果てに亡くなったわけじゃないといいな、
と思う
比較的若い年齢の方が多かったから、
できることがまだあったのに、
と思ったんだろうな、と勝手に思う
小さい子供のお父さんお母さんもいたし、
お子さんが結婚式を控えているという人もいた
家族が遠くに住んでいるから会いたいとか、そういう人もいた
でもみんなきっと、家に帰りたかったんだろうな、と思う
❏「残された時間をどうすごしたいですか?」←酷だよね????
「残された時間をどう過ごしたいですか?」という質問はとても酷だ
死ぬことを予測するとき、
音楽を聞くとか自分で考えるとかきれいなものを見るとか
そういう自分だけでできることもできなくなるし、
他の人とも話したり認識したり触れたりできなくなる
自分とも他人とも隔絶された状態と考えるとこわいし、かなしい
こういった死の恐怖は子供でも大人でも変わらないと思う
そんなことを突きつけられた状態で楽しいことなんて考えられるはずないし、
実際そう言われたときは身体が今までのように動かなくなってきている場合が多い
だから、
「大切な人とできるだけ長くいたい」という答えにたどり着くことが多い気がする。
でもこれも割と難しい
病院ではわたしみたいな看護師が割って入ってくるし、同室の患者さんがいる場合もある
それに病院食は食べ慣れたものではないし、
お酒は飲めないし
タバコも吸えない
犬とも遊べないし、枕は合わないかもしれない
そしたらやっぱり、家に帰るしかない、
帰ってもやりたいことはできないかもしれないけど。
❏大事なのは日常を取り戻すこと
私ははたからみていて、軽い言葉で言うと「好きなことしたらいいよ」と思う
実際それでかなり危ない状態で海外旅行行ったりした人もいる
でも、家に帰れない人はどうしたらいいんだろう?
と、思っていて
そういえば患者さんのまつげがすごく長くてきれいだったことを思い出した。
抗がん剤で髪はほとんど抜けてしまっていたけど、
ウイッグかぶって化粧したら楽しかったんじゃないかなと思った
ああ、そうか、つまり、日常だ
最後にしたいこと、
じゃなくて
日常、
今まで当たり前にできていたことを、
少しでも取り戻して、新しい形で受け取れたらいいと思う
病気になる前は、どんなくらしをしていたのだろう
仕事でくたくたになって、子供のご飯をつくって、成績に頭を悩ませ、
好きな俳優が出ているドラマを見て、家族と話して、お風呂に入って、
痛いのは仕事で痛めた腰くらいで、明日の予定を考えながら眠っていた?
入院している患者さんは、多くは「患者さん」として扱われてきて、
久しく日常を味わっていないんだろうな、と思う
医療者も立ち止まって考えてみると、病院が日常なはずないじゃんって思えるんだろうけど、普段は考えて仕事できるほど精神的な余裕がない気がする、ゆるして
❏おわりに
そういうあたりまえの日常は、
ひとりひとり違うから、できるだけその人を知りたいし、
聞くからには、知ったからには私のことも知ってもらいたい。
(ちな都会にはそういう職業的プライバシーが厳格で私には不向き…私がどこでどんなふうに育ってきたかとかどこに住んでてどんな趣味とか話しちゃいけないのしんどい…わたしは田舎育ちなので自分がどんなにんげんか地域の人に知られてるのが当たり前だと思ってる)
わたし、明日からも、いろいろ聞きますし、
小娘だけどいろいろいいますが、どうぞご容赦くださいな。
おわり
これが投げ銭ってやつか……