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団塊の世代なき私

ご高齢の方からAIについて質問を受けたことがあります。
私はやってみた方が早いと思って、ChatGPTを検索してみるよう勧めた。
そしたら驚く答えが返ってきた。

「検索ってどうやればいい?」

そこからか!と驚く私に
本人曰く「やる必要がなかった」

私に言わせれば「好奇心が無かった」なのですが、時間をおいて考えてみると確かにその通りだったのだろうなと思う。
インターネットなんて使わなくても、自分と同じくインターネットを使わないやつが大勢いた。昭和と同じことやっていて不便に感じたことがないのだろう。グーグル検索すらしてこなかったのですよ、彼らは。

そして、私が年を喰ったときも同じになるかもしれない。
「必要がなかった」と切り捨て続けた結果、できないことが増えていき、ついに何もできなくなる日が来るかもしれない。

自分事として考えると、解決策は本当に「好奇心」なのか疑問だ。
たまたま好奇心があり、触れてみる機会があるなら幸運だと思う。
しかし、困っていないけれど、それをやる必要はないけれど、興味もないけれど、やってみるという動機が無ければ、触れることもなく通り過ぎていくのが当たり前ですよね。

自分が何かを取りこぼしているのではないかと、ちょっと心配になります。

今は団塊の世代という反面教師がいてくれるお陰で、なりたくない具体例がはっきりと存在してくれています。ですが、これからこの反面教師たちが見えなくなっていきます。

今は見えている「なりたくない未来像」というのを、私はあっという間に忘れてしまうのだろうなと思うのです。

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