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去年4/26の自分。留学後。

去年、コロナの影響で早めに8か月で留学から帰ってきた一か月後、色んなもやもやをグーグルドックスに打ち殴った書付が、この間出てきた。今読むと自分で恥ずかしくなるような勢いだけど、常に自分の中にある悩みをここまで言語化していたことに驚いている。あのときの自分、忘れないようにしたいな。


以下去年の4/26書付↓↓つたない言葉でごめんなさい。

普通の人生を送ることがつまらないと思って、いろんな人に憧れたりしてたけど、結局学校でいい成績をとって、「いい」大学行って、なにか自分の好きなことに関連した職業付けたらまあいいなとか思っている自分がいる。意を決して飛び込むことに腰が引けて、いつでも慣れ親しんだいわゆる日本の人生設計に戻ってこれるように考えて逃げ道を作ってるのが現状。で、実際世界を変えたいのか?ボランティアも、自分の自己満じゃないのと思ってしまうことが多くて、実際数回足を突っ込んでみて、自分の経歴書に書いたところで世界は変わらない。でも、世界は変わり続けているし、それが誰かの影響(一個人じゃなくても人々の集まりのエネルギー)で起きていることも事実だ。私も何か変えてみたい、このすれ違いばかりで対等さが無い世の中をどうにかしたい。

留学したけど、それも制度の中でのいわゆる「英語が出来て、世界を考えてる人」のテンプレートの中の1人になって、そのテンプレートは結局理解が届く範囲な訳であって、どこまでいっても制度の中にいるしかないのだろうか。自分は、ただ少し人と違うことをしてみたというだけで何を成し遂げた気になっているのか、何をしたいのか、わからない。予定調和の中で「成長しました」とか、「異文化理解の大切さを知りました」とか、実感のない言葉を吐きたくない。実際留学で何を学んだ?結局人の庇護下にいる自分のちっぽけさを知り、大きな社会問題を考えて自分の言葉を紡ぐことに怖気ついていただけではないのか。今まで自分がいかに先入観先行だったか、アメリカという国の持つ課題、ひいては日本自体の課題から目を背けていたことを知った。自分が世界のスタンダードだと思っていた価値観にものすごい勢いと強さで否定をぶつけられたとき、平静を保てなかったこと、自分の信念を伝えきれなかった事が自分の今の弱さを示してると思った。だからその後は、臆病になってしまうことがいやで議論もするようになった。日本で育ったのもあって反論したくないし和を乱すことに抵抗がある、逆に反論されると(特に価値観とかの話だと)自分を否定されたような気がしてくるし、そんな軟弱な自分が嫌い。もっと、意見をぶつけて、人と人ではなく考えと考えで批判しあいたい。(否定ではなく。高める方向で。)

ホームステイも、上流層の豪華な家庭にステイした友人もいたが、私は一般の家庭に行けてよかったと思っている。(もちろん世界平均でいったら上流だが)だって、この世界を作り上げているのは圧倒的多数の一般階級の人々なのだ。

あと、果たして私は海外に行きたいのだろうか…日本の中、つまりこの小さな世界の中に甘んじてる感覚が嫌なだけで、旅にすごく出たいとか世界中を渡り歩いてみたいだとかではないような気がする。単に今までの生活から抜け出るという思考の先に海外があっただけで。

留学していろんな対立を見て、聞いて、感じて、これを広い視野から考えたいと思った。海外に行きたいわけでもないかもしれないとは書いたが、「海外に行く」が目的ではないと思うだけで、日本も含めた世界で起きている諸課題を本当の意味で知るためには積極的に海外に出ることは必要条件だと思う。日本で頭でっかちで知った気になっていたこと、知りもしなかったことが確実に存在する。そして可能性を広げるという意味で、英語は絶対に無くてはならないツールだと思う。

出発前は、勢いでここまで来てしまった気がして、高校の授業にも、ホームステイをすることにも恐怖を感じていた。でも実際、まだ、この時点では舞台は周囲の手で整えられていて、その上で自分は自分が想像していた以上のパフォーマンスができた。

まだ、なのだ、まだお膳立てされた舞台でしか戦ったことがない。

ここで満足などできないし、したくないと思う。

甘んじてしまいたいという気持ちも無いといえば嘘だ。

でも、動き続けたい。これがいまの気持ち。

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