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自分の思考やあり方で人生も変わる

本日は、
3月6日にプレジデントオンラインに掲載された
堀江貴文さんの記事を拝読して、
思い出したこと、共感したことがあったので、
書いていきたいと思います。

オリジナル記事はこちら↓

堀江貴文「離婚と獄中生活を経験した僕が、どうやって"人生最大の孤独"を乗り越えたか」 心のありようは自分自身で決まる #プレジデントオンライン

おそらく
日本で知らない人はいないであろう
堀江貴文さん。

私も名前は存じてはいたものの、
実はご本人のことは、あまり知りませんでした。

それが去年、あるきっかけで、
YouTubeの彼の近畿大学のスピーチを拝聴することとなり、
そのスピーチの内容やお人柄に感銘を受け、
ご本人に興味を持つようになりました。

彼の考え方をもっと知ろうと
ZATSUDANを拝聴させていただいていますが、
堀江さんの知識や交流関係の広さから
発信内容が多岐に渡るため、

新しいことを知るというより、

自分が知らないことがなんなのか
知るきっかけになっています。


今ではオンラインで多くの情報が得られる時代。

でも本人に興味がなければ、
その情報は入ってきません。
その事実自体が
その人の中に存在がないので、
ネットで調べることもないのです。

ZATSUDANでは、
自分の興味と関係なく情報が入ってくるので、
拝聴した後は、聞いた内容を理解するために
また調べています。
(まずそこからスタートしなければならない無知な私😅)

なかなかお会いできる方ではありませんが、
本当にいつかお会いしたい方のお一人です。

さて、本題に戻りますが、
このプレジデントオンラインの記事の中で、
離婚や獄中生活を通して
どのように孤独と向かい合い、
どのように自分らしく
自由に生きていかれたのかが書かれていました。

詳細は、リンクから
直接記事を読んでいただいた方がいいと思いますが、
逆境でも彼の底力と半端ない思考力で
乗り切られた様子がよく伝わりました。

私は
堀江さんやプレジデントオンラインの回し者ではありませんが😂、
この記事は絶対読んで!とお勧めします。

さて、ここからは、刑務所つながり(?)で、
私が過去に会った
やはりご自身で逆境を切り抜けた
ある患者さんのことになります。

(堀江さんのことだけ読みたい方は、
ここで、ありがとうございました〜😂。)

私は上の子が1歳になるまで
音楽療法士をしていましたが、
私の以前の職場は、
受刑者用の病院の精神科でした。
簡単にいえば、
刑務所と病院がくっついたような所です。

精神科に入院される理由は様々ですが、
一番多かったのが、
鬱症状か適応障害でした。

受刑者は普通の病院には、
よほどのことがないと行けないため、
そこの刑務所病院が
カリフォルニア州全土の刑務所(女子刑務所は除く)から
患者さんを受け入れていたのです。

精神科に入院してくる患者さんは、
環境に振り回されている方も多く、
リピーターが多かったです。

入院している時はいいけど、
元の場所に戻ったら、症状が悪化し、
また入院を繰り返す方が多かったです。

その中でわずかですが、
自分の力で生きる術を
身につけた患者さんがいました。

そのうちの1人の患者さんは
ギャング関係の殺人で
懲役25年以上の終身刑で
服役していました。

一応、刑務所病院に入る前に
ギャングメンバーは、刑務官が交渉して
入院中はギャング活動は抑えるように
言われるそうですが、
ギャング活動がないわけではありません。

彼はもうギャングから足を洗って、
静かに過ごしたいと思っていたようですが、
何度も誘われることや、
出所のメドもないことで大きなストレスになり、
鬱を発症し、入院してきました。

精神科の急性期病棟である程度回復し、
普段の行いも良かったので、
私が勤めていた
長期プログラムに入院されてきました。

カウンセリングやセラピーを受けながら、
彼はどんどん回復し、
人を思いやる余裕も出てきました。

そのうち、
私がやっていた音楽バンドのグループで
キーボードをやりたいと言ってきたので、
1からキーボードを教えつつ、
空いている時間に練習していただきました。

そして、年に3〜4回行われるコンサートで
皆の前でバンドの一員として
演奏できるまでになりました。

それまで、人に褒められたり、
一生懸命打ち込んで達成したこともなかった彼が、
多くのスタッフや他の患者さんたちに
とても褒められたと喜んでいました。

その時に、私にくれた言葉は今でも忘れられません。
「自分の人生で最も輝いた一瞬だった。ありがとう。」

頑張ってそこまでになったのは、
間違いなく彼自身の努力の賜物ですが、
人に感謝できるくらいまで回復し、
人間的にも大きく成長されたのだと思いました。

退院後も、その病院にはいたので、
その後、何回か見かけました。

ある時は他の受刑者と談笑し、
ある時は他の受刑者やスタッフを助け、
彼なりの刑務所での生き方を
見つけたように見えました。

それでも、時折
暗い表情の時がありました。
声をかけてみると、
「大丈夫。自分で乗り切れるから。
必要だったら、今のスタッフにも相談する。」

私はそこで
その後何年か働いていましたが、
彼がうちのプログラムに
戻ってくることはありませんでした。

堀江さんの記事にも書かれていましたが、
不自由な環境でも思考は自由であるということ。

自分がどう思うかは、
誰にもコントロールできないのです。


どこかで聞いた話ですが、
ドイツナチス時代の
アウシュビッツのユダヤ人収容所でも
希望を強く持って生きていた方の
生存率が高かったと言われています。

先ほどの患者さんも
長い刑期を生き延びなければいけません。
環境は変えられないけれど、
彼は自分の考え方・生き方を変えました。

そんな患者さんの姿や
堀江さんの記事に
多くを教わったありゆきでした😊。




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