見出し画像

#227 教えている側は教わっている

一端ではありますが、陸上競技を教えています。とても恵まれています。
日々アウトプットの連続ですが、教える側には責任が伴うな〜と思うことがしばしば。責任を感じ、日々成長せねば!と身を引き締める思いです。

本当に正しいか?
どうやったら上手く伝わるか?
効果があることを実感するには、どうしたらいいか?

色々と考えます。教え子に年齢性別関係ありませんが、特に子どもの場合は将来に関わってきます。
私は父から幼い頃、かかとをあげて走る(つま先を立てて走る)ように教えてもらい走ってましたが、結局、高校生の時にフラット気味の着地になるよう修正して今の走りになりました。かかとをあげることは、ベタベタ地面につけるよりは良いと思いますが、極端にかかとを上げていたのであまり効果がなかったわけです。
上手く走ろうと思えば、足はフラット気味に設置し、
つま先→母指球→土踏まず→かかと
この順番に真っ直ぐに接地し走っていきます。その動きに合わせて地面を押した反発をもらいつつ、太ももを引き上げ前に振り出す、という動きを繰り返して重心を移動させます。

話は戻りますが、父は極端にあげろとは言ってないです。ですが、私の解釈では”かかとを極端に上げて走る”結果になりました。思ったものを100%伝えることは難しい、ということですね。本件に関しては結果的にかかとを上げて走ることでアキレス腱や脹脛が長く育った一因であると思うので、父には感謝しています。結果的に足が速くなる体になっちゃったって感じです。

教わる側は知識を吸収します。教える側は反省とアウトプットの方法を学びます。

「Aと伝えたけど、Bと返ってきた。」
思っていることや育った環境が違うので、違う結果になるに決まっています。
「(関東の人に)ほかしといてと言ったら、放置された」これに似てると思います。

教える方が工夫し、教えた結果でOKか間違っていたかを判断するしかないです。
教わる側に求めすぎず、どんな表現をしているかをじっくりと観察することで、”その指導が正しかったか?”を判断するしかないのではないでしょうか。間違っていれば再度修正して、あっている所は褒めて伸ばす。これの繰り返しで教わる側も、教える側も成長していくのだと、陸上協議を指導していく中で実感として感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?