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外国人の漢字Tシャツとか

ヨーロッパの建物よりも電柱

先日ドイツの方とのたわいもない会話の中で「海外でどんな国に行ったことある?」のような話題になりました。私は「フランスとか、ベルギーとかも行ったことあるよ」のような回答をし、付け加えて「ヨーロッパの建物はどれも本当に美しいよね」と言いました。他の日本人の方も「全部お城みたいに見えるよね」などの声があがりました。

こちらとしては、何の違和感もなかったのですが、ドイツの方は「ふーん、まあ日常的だよね」といった感じでした。そして、それよりも「日本で見かける電線がたれているような電柱がクールだよね」と言っているのを聞いて、まさにカルチャーショックでした。

”電柱!?”

まさかのヨーロッパの建築が電柱に負けるとは。(別に勝ち負けじゃないですけど)。電柱なんてむしろ地下に埋まっている国が多い中で、恥ずかしいし景観を乱すし。という気持ちでした。

聞き違いかと思ったぐらいでしたが、ドイツの方は自分のインスタに日本の電柱をアップしたらコメントとかいいねがいっぱいきたと言うのです。(一応、後で確かめましたが本当でした笑)

これをどう捉えればいいのか、その日は悩みました。

漢字のTシャツとアルファベット

これと実は同じ現象があるなと思ったのですが、それは漢字のTシャツです。外国人向けのお土産物とかであるやつです。日本人だったら、絶対着ないような「東京」とか書いてある(もっと変なやつもいっぱいあると思いますが省略)Tシャツです。

イメージです

決して、日本人の美的感覚が優れているというわけでもなく、逆も然りです。なぜならば、私たち日本人もアルファベットのTシャツを着ているからです。ないものねだりと言いますか、お互い遠い存在のものに何かクールさを感じているのだと思います。もちろん普遍的なベースとなるデザイン性の問題もありますが、上に乗っかっている文字については、お互いに見知らぬものにクールさを感じているはずです。

遠い存在に興味がある

まだ他にも例があるかもしれませんが、もののデザインをベースにして、心理的に遠いものに興味が湧くのだと痛感しました。今回の例で言うと、ヨーロッパの人にとって教会や西洋の建造物は日常であり、あまり特別なものでもなく、むしろ日本の小道の電柱のような雑多のものが珍しくてそこに興味を感じたというわけです。日本人にとっても同じ現象で、電柱は日常で西洋建築が非日常ということになります。

電柱と電線の写真のイメージ(実際はこれではないです)

観光においても、よくある話で、日本人からするとそうでもないものが海外の旅行者には評判がいいなんていうことも日常茶飯事ですし、文化の違いで日本の当たり前が当たり前ではないこともよくあります。もちろんそういうことも認識していたものの、今回の電柱の件は「まさか」という印象でした。

心理的に距離が遠いものに興味が出ることは理解できます。全てではないでしょうが、珍しいものが面白いという感覚とも言えます。だからどんなに美しいものであっても、あまりにも日常的なものだとその良さに盲目になりますし、逆に非日常だからと言って全てが良いかというとわかりませんが、その人にとって日常か非日常か(心理的距離)によって捉え方が異なるというのは間違いありません。

そんなギャップにまだまだ驚きがあるなと感じた一日でした。