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なぜ、ヒトは共通点を求めたがるのか

コミュニティ

社会にでると、同じ出身学校で大きなコミュニティがあったりします。私は兵庫県立兵庫高校出身ですが、武陽会というOBOGグループがあります。Linked Inなどでも同じ出身校でつながったり、リコメンドが出たりもします。全く会ったこともない部活の後輩を応援したくもなります。

コミュニティとしてよく見かけるのは、「関西圏人会」とか「九州圏人会」などの出身地域でのグループです。特に東京にいるせいか、出身地は一つの挨拶にもなり、わずかな共通点はたしかに親近感が湧いたりします。

恐ろしいことに、マイナーな共通点であればあるほど、より親近感が湧いてしまいます。例えば、出身地でも県単位でなく、○○地区の○丁目とかが共通しているとそりゃもう話はつきません。趣味も同じなんでしょう。サッカー好きぐらいの共通点ではなくて、〇〇チームの〇〇選手が好き、とか、猫好きの人も、猫のこんな仕草が好きぐらいに細分化されていると、より親近感が湧きます。

SNS

もう過去のものになってしまったmixiも当時はソーシャルネットワークのトップを走っていました。見知らぬ人からメッセージがきたり、足あと機能が楽しかったりもしました。Facebookが始まった時はみんなで登録しましたし、海外の友人とコメントをしあえるのは、それはそれで楽しかったです。

新しいSNSが出てきては、古いものが消え、それでも根本的に人とつながるサービスは消えないように思います。クローズなコミュニケーション(LINEのグループなど)やオープンなコミュニケーション(Tiktokのショート動画など)、さまざまな形がありますがやはりどこか本能的に人が反応してくれるもの、自分がコメントやいいねするようなリアクションは麻薬的な喜びを感じるのがヒトの性なのでしょう。

なぜ人は共通点を求めるのか

「なぜ人は共通点に親近感が湧くのか」「共通点を求めたがるのか」。同じ共通の話題で盛り上がれるから、ということもあるかもしれませんし、興味がないことよりも興味があることのほうが楽しいからということだけなのかもしれまん。でも突き詰めると理屈ではなく、直感的にお互いに共通項を探しているように感じますし、実際親近感が湧きます。

あまりにも感覚的なものなので、私たちは共通点を探し求めている意識もありませんし、共通する部分を見つけて親近感が湧くことも後になって気付くぐらいです。

答えは遺伝子の中に

ずっと不思議だと思っていましたが、答えが本に書いてありました。

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ブループリント:「よい未来」を築くための進化論と人類史
(ニコラス・クリスタキス著)

概要参考:
https://ameblo.jp/aritaweb/entry-12647784268.html

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私たちは、独りではなく協力しあって、知恵を共有し合いながら、最適な進化をしていくような本能にも近い青写真をもっているようです。それは人との共通項を求めて、コミュニティを作りたがる源泉になっているのです。

ただ、そうシンプルではないのが人間のようです。
共通することに親近感を覚えつつ、自分と全く異なる要素(自分に持っていないものを持っている人に惹かれる)ことも起こり得ます。

さらには、共通点を求めるコミュニティ意識というのは、逆に仲間と仲間以外の線を引くということなので、場合によっては、本能的に敵を作ることにもなりえます。SNS疲れ、というのも十分なストレスとして理解できます。

国同士の所属意識

サッカーのワールドカップやオリンピックなどもそうですが、普段は自分が日本人であることを強く意識しないのも関わらず、国対抗戦になったとたんに自国の意識が強まり、自分の国を応援し、他国を敵のようにけなすのです。

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人同士でみると本来は共通点があるかもしれませんが、国際大会では国が共通のキーになります。日本だけでなく、自国の帰属意識が非常に高い国も見かけます。こちらとしても、負けるわけにはいかないのです。

2021年、一度延期された東京オリンピックですが、再び開催の是非について問われています。今回はヒトとウイルスの戦いですので、共通点は「ヒト」か「ヒトではない」かということなのです。国同士の戦いの前にヒトという共通キーでまずはウイルスと戦う必要があります。まさに、独りの戦いではなく、団体戦になります。そうやって団体で進化していくような青写真が組み込まれているので、今回も例外ではないのです。