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親が愛しい存在になるのはいつからだろうか

先日鎌倉に引っ越してから初めて両親が遊びに来た。

12:00に合流をして、解散したのは22:00頃。
両親と別れてから、旦那と帰り道を歩いているうちに涙が止まらなくなった。
悲しいことがあったわけではないのに、私は勝手に涙を流していた。
満ち足りた感覚、多幸感、帰り際手を振る両親の姿に少し寂しさをも感じる感覚。

この感覚がなんだか懐かしくて、それでいて新鮮で、書き留めておこうと思った。


『鎌倉に遊びに行きたい!』
この両親の一言から始まった。

12:00に待ち合わせをしてせっかくくるなら海を感じたいとのことで、七里ガ浜のレストランでランチをした。
元々サーフィンをしていた父は、久しぶりに見る海に興奮していた様子だった。
世話焼きな性格の母は、引っ越した私たちの暮らしぶりを知りたかったようだった。日々どんな生活をしているのか、引っ越そうと思ったのはなんでか、など食事中とめどなく質問攻めにあった(笑)
つい、食事を忘れてしまうほど、私たちは会話を楽しんだ。
ビール、赤ワイン、白ワイン、すべての飲み物を制覇して、海岸線を歩いた。

海を眺めながら父が誇らしそうに言う

藤沢寄りになると地形が変わって波が高くなるんだよ
台風の時は低気圧が来るから、その影響でみんな由比ヶ浜の方で(波に)乗るんだよ。

続けて母が言った

懐かしいねえ、毎週のように海に来てたね。
ママ、毎週3時に起きてお弁当作ってたんだよ。
パパが海に入ってる時は砂浜で子どもたちを遊ばせるしかなかったけどね(笑)

目を細めて懐かしそうに笑う両親の姿に、こちらもなんだか気恥ずかしい気持ちになった。心地のいい風を肌に受けて、当時の思い出話を懐かしんだ。

そのあと自宅に戻った。母が前日に郵送してくれたクッキーと私たちのお気に入りのコーヒーを淹れて、飲んだ。

母が思い出したように
『おばあちゃんから預かっているものがあるの!』
と言って袋から何かを取り出した。

なんと、私が昔おばあちゃんの家で使っていたお茶碗だ。

おばあちゃん曰く、捨てられないもののようだ。
20年以上も前のお茶碗を、残してくれている。
ただのお茶碗だけれども、長年保管をしていた背景を思うと、大切にしたいと思わざるを得ない。きっとこのお茶碗を見返す度、祖母はきっと初孫の私の当時の姿を思い出していたのだろうか。初孫の成長を見守ってくれていた祖母の姿を想像して、また泣けた。

少し、家で休憩してから飲みに行こうと鎌倉の夜の街へと繰り出した。
何を隠そう、私たち家族はお酒が大好きで(笑)
両親は、事前に気になるお店をピックアップしていた。
小さなお店を転々と回ろうということで、
17:00に始まった飲み会(笑)は、4軒を歩き回り、22:00まで続いた。

飲み歩いてもうお腹も満腹になって来た。
たのしかったね、と笑いながら最後のお店で、父が急に真面目な顔で言った。

『有紗(私)はもちろん、薫(旦那)のことも応援したいんだ。
なにか挑戦したい時がきたら、教えてほしい。
挑戦できる能力と意志のある人が、チャレンジすべきだと思っている。
でも、少しだけ息子(私の弟)のことも気にかけてやってほしい。』

家族に対して、私たちの仕事の話は、特段していなかった。
会話の節々でそのようなことを察したのだろうか。
隣で、母も涙ぐんでいるように見えた。

私の家は自営業で、父は40歳から祖父が創業した会社を継いでいる経営者だ。
私には弟がいて、彼が実家の家業を継ぐことになっている。
数年、社会人を経験して、1年以内には父の会社へ入ることになっている。
彼にとっては人生の転機だ。もちろん、私の家族にとっても。
弟の就職活動の時に、実は私は弟と一緒に住んでいた。
実家の家業をそのまま継ぐべきか、一般就職するべきか、とても悩んでいた。
父へ本音を打ち明けて就職することになった一連の流れを姉として見守っていたから、とうとうこの日が来たか、と私も思うのだ。

父も一人の経営者であり、人間であることを痛感した瞬間だった。
母もまた、その一経営者を支える妻だった。

私は、自分の時間軸を生きる事に一生懸命で、
両親の心境や弟の心境に目を向けられていなかったのだ。

最後の一言をずっと言いたかったのかもしれない。
緊張や遠慮や、いろんな想いから10時間も経過してしまったのかもしれない。
ちゃんと伝えるぞと意気込んできたのかもしれない。

そんな父の思いを、受け取るのに精一杯で
『わかった、ありがとう。支えるね』
としか返せなかった。

うまく返せなくて、でもちゃんと伝わったということは言いたくて、
帰り際には大きく手を振って、二人を見送った。
満足げな顔で両親は帰って行った。

ここまで書いていて、冒頭に書いたように私が泣いた理由がわかった。
こんなに一緒に過ごした家族のことも、知らないことだらけだったと痛感したからである。

毎週末、子どもたちを海に連れて行くために3時に起きてお弁当をつくってくれた母
20数年も初孫が使ったお茶碗を残していてくれた祖母
複雑な思いはありながらも私たち夫婦の幸せを願ってくれている父

涙が止まらなかったのは、自分がいかに自分の時間軸を生きるのに一生懸命になっていて、隣に流れている相手の時間軸を想像できていなかったか、という現実を突きつけられたからである。

そんな自分に少しばかりの罪悪感を感じつつ、それでもなお、心が温かいのは、不安や葛藤がありながらも、子どもの幸せを願わない親はいないという、愛情に包み込まれたような感覚になったからだった。

この不思議な感覚を私は21歳の頃に体験したことがある。私が就職活動をしていた時期だ。

年を重ねて、初めてわかる気持ちがある。
残念ながら、同じ年に追いつかないとわからないことがある。
こんなに愛情をかけられていたんだと気付く瞬間。
心が揺さぶられる感覚と同時に、今こうして結婚式に携わっている確信がさらに色濃くなった。

家族が、親が、愛しい存在になるのはいつからだろうか。

大切なのは、大事だと気付いた瞬間から
伝える機会、確かめ合う機会を設けることだと思う。

気付いたからには、できる限り
ありがとう、わかってるよ、と伝えてゆきたい。

親とともに年を重ねてゆく、そんな豊かさを実感した週末。
繋がり合えた充実感を抱いて、家族の思い出の象徴である夏を迎えたい。

こうして描くことで輪郭がはっきりしてくる感覚
そうか、だから私はこうなんだと再認識する時間
そして、いまの私を再定義する時間
この時間が好きで書いている。

気ままに更新をしてゆこうと思います。

梅﨑有紗



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