自分だけが分からない楽しさ、自分にしか分からない楽しさ

友人からある漫画の一コマを紹介してもらって、「君はこういうタイプだった?」と聞かれ、恐る恐る読んでみたら、遠い昔の自分をふと思い出した。

図工の時間は、45分ある授業を6回くらい使って、1つの作品を作り上げる。ただ、その作品のテーマが「学校周辺から見える風景」とか「自画像」とかだったら下手なりに描けるのだが、それ以上に曖昧なテーマ(自由に、とか)になった途端、筆も頭もピタッと止まってしまう。4回目までは何も描くことが思い浮かばず、キャンバスが真っ白のままぼーっと考えてみたり、友達の机に近寄って何を描いているのかを見せてもら(いながらペチャクチャしゃべ)ったりして時間を潰す。ただ、完成の日が近づくと、先生にも目をつけられるし、早くやらねばと思い、やっつけでキャンバスを埋める。終わりそうにないなら紙をくしゃくしゃにしながら家に持って帰って親に協力してもらってた。それで完成はするんだけど、教室の裏とか廊下に展示されるのが嫌だった気がする。

あの授業の何が楽しいのか、当時の自分には理解できていなかったようだ。なぜなら今の自分には理解できないからだ。ただ、国語とか算数とかと違って、「図工は楽しいもの」みたいな固定観念が先生にありそうな様子ではあったが、自分に言わせれば正解当てゲーム(であり自分の正答率が結構高かった)算数の方が圧倒的に楽しかった。

音楽については楽しかったし、今でも重要な趣味の一つになっている。ただ、その内実は、「決められた楽譜をなぞるだけ」だったり、「すでに曲として決まっているものを改めて弾く」ようなものばかりで、正直創作めいたことはほとんどやってこなかった?

図工の思い出が蘇ったとともに、当時の心境に近い感覚を抱くものがある。「」だ。私が下戸であり、健康意識とかが高いせいか、(はたまた自分はまだ若いからなのか、)正直酒を飲みたいと思うことはなく、飲むにせよ重要な宴会くらいに留めておきたいのが本心だ。ただ、社会人になるとそういうわけにもいかず、連日最低限にお酒を飲む(ハイボール一杯で簡単にへべれけになるから安上がり)暮らしをする上で、自分と上司の酒に関する価値観の違いが全く違うことにいつも驚かされる。例えば私が風邪を治した直後、「病み上がりなんで…」と言い酒の代わりにウーロン茶を頼んだのだが、そういう時こそ体温を上げるだの、消毒作用だのを引き合いに出して、酒を飲んだ方が健康的と持論を展開していた。自分は疲れている時こそ酒を飲まずにすぐに寝たいと思っているが、彼は酒がないと寝ることができない、とか言っていた。おそらく多くの大人は酒を飲むのは心地よいことだ、という認識を持っているっぽいが、私はまだ酒の良さが分かるレベルにいないようだ。

最近日記を書くなどを経て自分の心から多くの言葉を取り出すことが上手になり、気づけばnoteを書けるほどになった。ただその多くは上記のような愚痴めいたものやネガティブな発言ばかりだなと思っている。それは自分の心理の中でネガティブなものが出てきやすいからかも。
ここまで「自分だけが分からない楽しさ」について図工と酒があるなと感じた一方で、「自分にしか分からない楽しさ」と言えるものがきっとあるんじゃないかな、と思う。快/不快すら自分で見出すことなく、周りに流されて生きてきたので、他者に共感されない自分にとって大切なものを浮かび上がらせるのには、まだ時間がかかりそうだ。

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