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ランナウェイ・ランウェイ

流行(ランウェイ)から逃亡(ランナウェイ)した洋服たちの脱走劇を想像します。
どこから来てどこへ行くのか知れない洋服たち、それに袖を通していたかもしれない人たち。
やわらかい布に包まれた人生たち。

(2016年から2017年にかけて、Webマガジン「ART&MORE」にて連載させてもらっていた記事です)


vol.01/帽子とパラソル柄のシャツ

失踪した元カレのシャツを着ている。
シルク・ハットにカンカン帽、ボーラー・ハットにジョッキー帽。房飾りのたくさんついた日傘柄のシャツ。

大学生の私たちは果てしなく貧乏でひまだったので、一日じゅう喫茶店で薄茶けた漫画を読んで過ごした。
私はキャンディ・キャンディに傾倒し、キツネ狩りのときには紳士・淑女の皆さまはこのシャツに描かれているような帽子を被るのか知らん…と思いながらアンソニーを偲んだ。

最終巻を読み終える頃、やつはしょうもないダンディズムを追求してどこかへ行ってしまった。
彼は「キャンディ、君のえりまきだ」と言わなかったが、シャツはまだ私の部屋にあるのだった。


vol.02/赤いリボン柄のシャツ

クリスマス・イブの夜、彼は私にイケてないパッケージの箱をくれた。
いかにも洗練されていないぺかぺかしたリボンは必要以上に長く巻きつけられていて、ゆるんだところから赤い蛇になってのたうっていく。
(ああ、たぶんイケてないアクセサリーが入っているんだろうな)

彼は私が奇抜な柄の洋服を着るたびに「うーん、あはは」と言う。私は精一杯の真摯さをもって「コンサバティブな人なんだな」とだけ思うようにしていた。
私たちはお互いにほんの少しの嘲笑を感じながら、それなりに仲良くやっていた。私は喜んで、それから自分のプレゼントを手渡した。

それが四年前の話だ。私が今着ているシャツにはあのクリスマスに解いたような赤い模様が描かれている。
「ご自宅用ですか?」
「はい」
かわいいスニーカーを買って店を出る。
プレゼントのリボンは今日も垂れさがって揺らめいている。私の蛇は誰にも巻きつく必要がないのだから。


vol.03/暗い色のレースのドレス

真夜中の散歩が好きだ。オフィスにはとても着ていけない洋服でめかし込んで、人気のない夜の住宅街を一周する。

その夜は珍しく雪が降って、私ははしゃいだ。今夜はとっておきのドレスを選ばなければならない。
淡く変色してしまって、肩のところが少し破れているレースのドレス。
ヴィンテージというと格好良いけれど、何のことはない、ただのぼろぼろの古着である。でもとびきり気に入っているのだ。

外に出ると薄明るく、積もり慣れない水っぽい雪が砂利のように辺りを覆っていた。
濁った雪の上を進みながら、私は「ウエディングドレスというものはなぜ真っ白と決まっているのか知らん」と考えていた。
そしてつい最近名前のない関係になったばかりの人を思い出していた。恋というものを排除した途端、私たちはとても仲良しになったのだった。

黄変した古いレースが街灯をざらざらと反射する。
ここにあるのがたっぷりと眩しい雪原でなくてよかった。鈍く光る雪の上で、純白でないこのドレスが汚いもののように見えなくてよかった。
明度から開放された全ての美しいグラデーションを愛し、私は猛スピードで歩いていた。


vol.04/貝殻の模様のワンピース

海へ行きたい。

先週、仕事を辞めた。衝動でもなく、野心でもなく、怒りでもない。ドラマティックな理由は一つもない。
新しい勤務先はもう決まっている。初出社日は一週間後。ふらりと退職するほどの度胸は私にはなかった。

私は春が嫌いだ。「新しい何かを始めろ」「素晴らしい出会いを見つけろ」「ほんとうにやりたいことに気づけ」とせき立ててくる。
そりゃあ私だって、溌剌とした気分になって、悲しいことは忘れてしまった方がいいことは分かっている。だけど暮らすだけで精一杯ということだってあるでしょう。

長袖のワンピースに着替えて出かける。小さな貝殻のプリントは完全にバカンス仕様だというのに、襟も袖もしっかり塞がっていてどう見ても暑い季節向きではない。
夏の模様なのに春の型紙だなんてどうかしていると思った。だけどこれ、実はとびきり優しい仕立てなんじゃないの?と思う。海へ行きたいけど行けない人のための洋服だ。
行けないことはない、今すぐ行けばいいじゃないかと思われるかもしれないが、私が見たいのは春の海ではない。荒野のような砂浜ではない。
穏やかな気候の中、冬の名残りの枯れた草がただ時間が過ぎるのを待っている様子に打ちのめされたいのではない。一足飛びにエネルギッシュで活気のある自分のもとへ行ってしまいたいのだ。
強い風が吹く。空想の波のように青いプリーツが翻る。見えない麦わら帽子がさっと飛ばされていったのを感じて振り返った。


vol.05/赤い水玉模様のセットアップ

夏のことを思い出せなくなっていた。

去年まで、私は確かに夏を愛していた。日増しに遅くなる夕暮れにどきどきしたし、計画を立てて旅にも出た。小説も書いた。
ちゃんと「もうこの夏が最後かもしれない」と思って感傷的になったり、桃を剥いたり、『アップルグリーンのカラーインクで』を読んだりして過ごした。

だけど今年はなんだかおかしい。
とうに衣替えして半袖のシャツを着ているし、自分の頬や背中から日焼け止めの匂いだってしているのに、いくらイメージしてもあの燃え盛る暑さを思い出せない。
気温はどんどん上がるのに、いつも微かに涼しく、気だるい。

例えば、今でも半年前の会話を思い出してその時とすっかり同じように激昂することはできる。今でも鮮明に怒りを感じる。私の心は少しも凪いでいない。
それなのに夏の皮膚感覚、夏の高揚と焦燥、夏の激情だけが思い出せないのだ。

私の熱量はどこへいってしまったのだろう。何かを受け入れたせいでこうなったと表明し労わりを受けるには、私は自分を愛しすぎている。
太陽がいくつも昇っているような赤い模様のブラウスとスカートを手に取る。
確かに、確かに燃えていたはずだ。強い日差しを浴びて発光している時こそ、この肌は明度を上げるのだ。


vol.06/ヨット柄の開襟シャツ

子供のころからずっと泳げない。正確には泳げるが息継ぎができない。
息が続くうちに少しでも前へ進んでおこうと猛進し、とつぜん力尽きる。大人になり水泳の授業というものがなくなって随分経つのに、今でもどこか息苦しい。

びっしりと小さなヨットが敷き詰められた開襟シャツを南行きのスーツケースに詰める。
この数百隻、数千隻の舟はどこへ向かうのだろう。門出。こんなにも門出にふさわしいものはない。
プールになんか行くから体一つで水へ放り込まれて大変な目に遭うのだ。いっそのこと、もっとたくさん水のあるところへ行けばよろしい。
私には舟がある。体を濡らさなくたって、小麦色になることができる。

ひりひりと熱い皮膚を予感しながら生まれた町を出た。
いつか泳げるようになるなら、背泳ぎがいい。さよならに似ているから。

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