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そりゃ生産者より消費者のほうが楽なんだよ

こんにちは!
8月からワーキングホリデーでオーストラリアに来ています。

2月に日本に帰国しないといけない予定があり、そろそろワーホリ後のことを考えなければいけない時期に差し掛かってきました。
なんとなくの方向性は決めているものの、「何をするか」という点が今ひとつ明確ではなく、時間ばかりが過ぎていく日々を送ってきます。
求人情報を見ながら「これを仕事にして、私はやっていけるのだろうか」と考えると、必ずしもYesが出せません。だんだん考えることに疲れてしまい、日々の仕事や生活に逃げたりすることも多くなってきました。

仕事をしていると、辛いことや大変なことが毎日降ってきます。大学生のときはアルバイトですら楽しく感じていたのに、仕事になるとなぜここまできついのだろうと思います。

先日ふと、その違いは「消費者」であるか「生産者」であるかではないかと感じました。

私達は日々凄まじい数のサービスや商品を消費しています。私の場合、noteを書くために、Appleが作ったパソコンを使って、Googleが作ったブラウザを使って、noteが作った投稿サイトに投稿をしています。もしコーヒーや紅茶を飲みながら書くのであれば、そのために使用するマグカップ、飲み物、ケトルだって消費されたものです。

消費されるということは、いずれも「生産者」という立場の人がいます。その人達は、仕事としてそれらの物を作っています。

私は日本ではITエンジニアとして仕事をしていました。インフラの維持管理という業務内容ですが、インフラを安全に使える環境の「生産者」として働いていました。
今はワーホリ中のオーストラリアで、レストランのウエイトレスとして働いています。美味しい食事と素敵な時間を演出するための「生産者」としての役割を持っています。

学生時代、私はずっと「消費者」でした。消費者は自分のことだけを考えていれば良いので、お金を払うかどうかに関わらず、自分のものになった時点からそのサービス・商品の責任は原則自分で持つことになります。
社会人になり、自分が「生産者」中心の生活になると、自分のことばかりを考えるわけにはいきません。そこで、消費者だけをしていればよかった時には必要なかった、タフさや打たれ強さというものが必要になるのかもしれません。

個人的な感覚ですが、アルバイトは一見「生産者」に見えるものの「消費者」の要素も少し入っているのではないかなと思います。特に定形作業しか行わないアルバイトの場合だと、社員側でアルバイト社員にやってもらうことを準備し(=生産)、アルバイト社員がそれを行う(=消費)という構図を感じます。

ITエンジニア時代が精神的にきつかったので、大変な仕事はしたくないと思っていたのですが、そんなことを言っていたらいつまでも仕事が見つからないところでした。
「仕事は大変なもの」と言うつもりはありませんが、大変ながらもやりがいや楽しみを見いだせる仕事を見つけられたらなと思います。

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