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mochti
人間全員「生きづらい」と思ってた
学生の頃からずっと「生きづらい」と感じてきた。
「生きづらい」をうまく言語化できないけれど、
・他者と自分を比較する
・自分は色んなやり方でやってみたけど難しく、他者はすんなりとできることが多い
・自分はなんか周りと違う
こんな感じ。
人それぞれの「生きづらい」があるんだろうけど。
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私はこれを見て、
「生きづらいと思ったことが一度もない人」がいることにびっくりした。
この世で少数派の部分や他人に理解してもらえない部分は誰しもが持っているのに、
その部分が「生きづらい」と捉えないのかが不思議でしょうがない。
「個性」「才能」と捉えるのだろうか?
そもそも、私が思う"この世で少数派の部分や他人に理解してもらえない部分は誰しもが持っているのに、"が間違っているのだろうか?
全員が「生きづらい部分」を持っているし、
自分より「生きづらい」人なんて山ほどいるから
口に出してはいけないと思っていた。
私が現実だと思っていたのは、ただの幻想だったのかもしれない。
私は「生きづらい」から「生きやすく」するのを諦めて、「生きづらい」をまず認めることから始めようと思った。
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