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人生100年シリーズ⑪ 今回は、「人生をより良いものとする究極の方法」

人生100年シリーズ⑪ 今回は、「人生をより良いものとする究極の方法」をご紹介します。


ここに資格試験に不合格となった人が二人いたとします。

・A君 →「このままではダメだ!」「成長したい!」「もっと勉強しよう!」

・B君 →「自分には向いていない。」「もうやりたくない!」「やめよう」


 このように起きたことは同じであっても、捉え方次第で全く違った発想となり、その人の人生は大きく変わる事と思います。「資格試験に落ちた」「トラブルが発生した」となれば、多くの人はネガティブな感情を抱き、自分の不幸を呪うことでしょう。

 しかし、一般的に悪い事と言われるようなことでも、ポジティブに捉えることは「考え方次第で」出来るはずです。自分の思い通りに行かない時こそ「運が良い」と考える。

 このような習慣が身に付けば、多くのチャンスを捉えられるようになります。「失敗は失敗と思った瞬間に失敗になります」失敗のおかげで成長の機会が与えられたと考えましょう。


 逸話を一つ。

 ある若者が「幸せを求めて旅」をしていました。そこで、とある町に着き、出会った老人に「私は幸せを求めて旅をしています。この町は良い街ですか?」と聞きました。

すると老人は「あなたのいた町はどうだったか?」と聞き返します。

若者は「私のいた町は最悪の町でした。人は不親切で、私に意地悪な事ばかりします」と答えました。

老人は「この町も君のいた町と変わらない」と答えます。


それを聞いた若者はガックリと肩を落として、この町に入ることなく、違う街に向かいました


 またしばらくすると、別の「幸せを求めた若者」が老人に「ここは良い町か?」と尋ねたので、老人は「あなたのいた町はどうだったか?」と聞きました。


 若者は「私がいた町はとても良い街でした。人は皆親切で、優しい。他の町も見てみたくて、旅をしています。」と答えます。


 すると老人は「この町も君のいた町と変わらない」と答えました。

若者はとても喜び、胸に期待を膨らませて街に入っていった。ということです。


 この話は何を示唆(しさ)しているのでしょうか。

若者に起きた事は同じでしたが、ストーリーは真逆の展開です。 


ぜひ、この話を例文にして「若者を自分」に、「町」を「自分の身近な何か」に置き変えて、自分自身はどちらの若者なのか、考えてみて下さい。


 お金持ちも貧乏な人も、頭がいい人も悪い人も、元々起きている事は大して変わらないはずです。

その後にどう考えるかが大切であって、全ては受け止め方次第なのです。


納税者番付日本一になったこともある「斎藤一人さん」の詩をひとつご紹介します。

「私はいつも小さな幸せを数えます。一つ数えると一つ花が咲きます。二つ数えると二つ花が咲きます。たちまち私の心は一面のお花畑にかわります」


 こうなれば幸せになる。お金持ちになれば幸せになる。などと、幸せの条件を決めるといつまでも幸せにはなれません。


 「ご飯が食べられて幸せ」「住むところがあって幸せ」「目が覚めて幸せ」「仕事が出来て幸せ」と、このように今の幸せを数えるのです。


 人生は才能で決まるものではなく、学歴でもありません。もちろんお金でもありません。自分自身の考え方で決まります。


 何かつらいことが有ったとしても、次は必ず成功する。何とかなる!とポジティブに考える。これが「人生をより良いものとする究極の方法」ではないでしょうか。


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