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苦しさに気づけなければ、SOSなんて出せないんだよ

中学時代のある時、学校に居場所がなくて、部活もしないで家に帰ってきて、家にもいたくなかったときのこと。
(もしかしたら3年で部活を引退したからかもしれないけどよく覚えていない)

わたしは、時々、隣のお宅にいって、その家の幼児と遊んでいました。遊ぶというより、「観察していた」といった方が良いかもしれない。わたしは集団の女の子遊びが苦手だったので、一緒に遊ぶとか遊んであげるというのでなく、その子がまだ協働遊びになる前の年齢だったので、泥遊びとか人形遊びとかで勝手に遊んでいる様子をずーっと見ていたのです。
お隣のおばあさんのところには、小さいころから祖母と一緒に遊びに行っていたので、顔見知りでした。だから、中学生にもなって、幼児と遊びたいといって一人で訪れたわたしのことも、受け入れてくれたのだと思います……。

が、大人になったいまの知識で振り返ると、わたしってなんだか「訳ありな子」の行動じゃん……?
でも、だれも騒がずにいてくれたので、良かったです。まだ牧歌的な時代と地域だったので良かった……。小さい子と遊んでいることは家族に伝わっていましたが、小学生のころに幼稚園の先生になりたいとか音楽の先生になりたいとか言っていたので、同レベルで遊んでいるのでなく子ども好きだと理解されたんだと思うのです。子どもが好きと言うことにしていたけど、今思うと人間の発達段階に興味があったので、幼い子が遊んでいる様子を見ているのは飽きませんでした。
でも、何度か行ったあと、お隣には行かなくなりました。その子もだんだん、見ているだけのわたしに物足りなさを感じてきた、この人がいてもつまんない……そんなそぶりが現れたのを察知したので、行かなくなったのです。

なんというか。
少しの時期でも、そういう場所と時間があったから、わたしは自分の中で別のことに気をそらすことができたから、問題児にならないですんだかな……。あのとき、苦しかったんだと思います。でも、苦しさがわかってなかった。だから助けてなんて、言えなかった。苦しくても助けを求めてはいけないのだと思っていたし。

行方不明になっていた中学生が、きょう、悲しい形で見つかりました。

つねにだれかを助けようとしている人が人を助けるのではなく、理由がなくてもほんの少しだけ受け入れられる、そんな空気が身近なところにあるという社会の余裕が、もしかしたらだれかを救えるのではないかと、ふと思ったのです。
だって、あのとき、だれかに助けて欲しいなんて思ってなかったし、自分が苦しいということにも気づけてなかったし、自分がどうしたいかなんてもっとわかってなかったから。

支えられたい……。m(_ _)m