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2020年がライター始め年だった「べっこうあめアマミ」の話

大晦日なので、この一年を振り返りたいと思います。

本当に何度も書いていますが、私は、重度寄り中等度知的障害を伴う自閉症をもつ6歳の一切しゃべらない息子と、今の所定型っぽいけど言葉が遅い2歳の娘の母親です。

子供たちのことは、これまで他のnote記事でたくさんたくさん書いてきました。

だから今日は、今年の最後は、そんな障害児ママである私自身のこの一年について書こうと思います。

私、ライターになる


一年ちょっと前、去年の10月か11月頃のことです。
私はライターになろうと決めました。

最初に言っておきます。

私、その時点でライター経験0の専業主婦です。

私は当時、障害児の息子とまだ赤ちゃんに毛が生えたような娘の育児が生活の全て、人生のすべて、でも何か物足りなさを感じていたのです。

そんな中、昔からの友人が命の危険と隣り合わせのような大手術をし、「人生の残り時間なんてわかんないんだからやりたいことに挑戦しよう!夢をかなえたい」という思いで一念発起、趣味を仕事にと一気に舵を切ったのを目の当たりにしました。

私は激しく心を動かされ、「私も!私も何かしなければ!でも何を・・・?」と思った時に、昔から自分は文章を書くのが好きで、いつか自分の本を出すのが夢だったことを思い出したのです。

私はこの夢を叶えると決めました。

そして、「文章を書く仕事ってなんだ?」と思った私の頭にひらめいたのがライター、コピーライターです。

でも、ライターなんて30すぎて未経験でできるなんて思いませんでした。
それでも何か…何か…と思いながら深夜、布団の中でネット検索していた時、あるライターの先生の講座にたどりついたのです。
その方が私のライターの師匠です。

とりあえず半信半疑で申し込み、ライター入門のような講座に参加、そこから私のライター人生が始まりました。


去年の今頃、私は何をしていたか


去年の年末、大晦日、私は家族で実家に帰省していました。

今でも覚えているのですが、そこで隙間時間にひたすら「最強のコピーライティングバイブル」という厚い本を読んでいました。

そして、同時に「実践だ!とにかく書かねば!」と思って、知り合ったSEさんの共同ブログに参加させてもらって、読んだことや講座で学んだことをつたないながらももりこみながら、とにかく記事を書いてみていました。

もちろん無償、しかも当時の私は1つのブログ記事に2週間くらいがっつりかけていて、これじゃライターとしてやっていけないだろう…と絶望するような遅筆具合でした。

更に、クラウドサービスでとりあえず案件に応募してみて、めちゃくちゃ落ちまくったけどとにかく色々やってみていました。

ちなみに、この頃の私、10年以上前に買った古すぎる動きの悪いノートパソコンとスマホしか持ってなくて、パソコンも何年も碌に使っていなくて使いこなせなかったため、まさかのスマホ1台で記事執筆も案件応募もワードプレス操作もすべてやっていました。

今思うと効率悪すぎて恐ろしい話です。


2020年の幕開け


年が明けて、2020年が始まりました。

2020年の1月、私ははじめてライターとしてお金を頂ける仕事を受けることができました。

単価は安かったです。
だって、まだ実績も何もない、「ライターになる!」って言って数か月の人間ですよ。
それは当たり前です。

でも、嬉しかった。

自分が好きな「文章を書く」ということでお金をもらえることが、とにかく嬉しかったのです。

そこから4月までの4か月ほど、私はその初めてのクライアントさん含め、2つの企業さんからのお仕事をお受けして、ようやく「ライター」として歩み始めたのです。


「べっこうあめアマミ」の誕生


少し時を戻して2月、私は今のアカウントでTwitterを始めました。
最初の2か月くらいは実は全く違う名前だったのですが、もし知ってる方がいたらそっと記憶のかなたに封印してください…。
このべっこうあめアマミアカウントを作ったのは、私が、世の中に発信したい思いがあったからです。

「ライターとしていくつか記事を書いてきたけれど、私はただ文章を書ければそれでいいのか?」
「いや、違うだろう、私には書きたいことがたくさんある」
「障害児を育てる母親の、きれいごとだけではない心の内や障害児育児のリアルを世間に吐き出したい」
「障害のある子供はいつもスポットライトがあたっているけれど、その陰で当たり前のように尽くしている母親の存在を、もっとわかってほしいし認めてほしい」

「私には『○○くんママ』ではなく、私としての生き方や考え方、感情がある」

そんな、「障害児」ではなく、「障害児ママ」を主役にした発信をしたいと思ったのです。

そして、私はこれまで、たくさんのネット上の障害児ママたちのブログや知恵袋などで情報収集して、なんとかここまでやってこれました。

だからこれからは私が、障害児ママのライターとして、何か同じような境遇に立たされているママたちの助けになるような情報を届けたい、そんな風に思って、今日まで続けてきました。


電子書籍との出会い


Twitter開始とほぼ時を同じくして、2月、私は、電子書籍を出してみようと思い立ちました。

「突然何言ってんだ?」と思われたと思うのですが、実母にそんな話をして、ぽかーんとされたのを覚えています。

当時、世の中には少しずつ「コロナ」の不気味な足音が迫ってきていました。

でも、さすがに1年後のこんな状況、おそらく世界中の誰もが予想できなかったでしょう。

私も当然そうで、コロナがどうとかさほど興味がなく、まぁそのうち収まるだろう、くらいに思っていた人間の1人です。

どちらかというと、私にとってはコロナより「電子書籍をどうやって出すか、自分にできるのか?」という事の方が興味津々で、頭の中を支配していたのです。

電子書籍も、それからとにかく無我夢中で、とりあえず書いて書いて書きまくる!!という自慢の行動力で書ききった、それが私の1冊目の電子書籍です。

1冊目の電子書籍は、もう書きたい事が最初からはっきり決まっていました。


「私が息子の幼稚園を門前払いされまくってどこにも居場所がなかった経験、そしてその状況をどうやって打破したか、それをとにかく世の中に形として発表したい!!」という思いから書きました。

でもその熱量がすごくて、少々暑苦しい本になったことは反省しています。

今思えば粗削りでちょっと恥ずかしい…でも、私の思いがこれでもかと詰まった、とても思い入れのある作品です。

2月から始めて、紆余曲折の末、4月の末にようやく出版にこぎつけました。

3月からコロナは私の生活にも大きな影響を及ぼすようになってきて、息子の幼稚園は休園、4月になっても始まらない、県外の母に応援は頼めない、絶望的に時間がなく、更に息子は大きな世情の変化で癇癪奇声祭り…。

もう、地獄のような場所で修行僧のように執筆作業をしている心地でした。

1人では限界だ!良い本を作るために学ぼう!


1冊目の電子書籍、一応出版はしましたが、自分の文章力やつくったものへの自信のなさ、そして「こんなかんじでいいのかな?」という不安や疑問があまりに多く、積極的に売り出していくことができませんでした。

どうやって売り出したらいいかも迷走しまくりで、しばらく全然売れませんでした。

そして私は気づいたのです。
熱い思いだけでは人に何かを伝えることはできないのだと。

人から注目されて、発表する土台が整い、なおかつ相手にストレスなく読んでもらえる文章がかけてこそ、自分の届けたい言葉は人に届くのだと。

そんな中、3か月通して実践的に学ぶ「電子書籍」に特化したあるzoom講座に出会ったのです。

お値段は10万を超えます。
決して安くない。
でも、私は藁をも掴む思いでした。

絶対に絶対に、自信を持って世に出せる、私にしか書けない本をつくるんだ!!

そんな気持ちから、ポンっと投資してしまいました。
ちなみにこの時点で私、ライターとして成功するために、半年以内で30万円以上投資しています。
まずはパソコン買った、っていうのも大きかったですね…。

でも、ここまで読んで下さった方、心配しないでください。
30万くらいなら、現時点できちんとライター業で取り返せています。

そしてここで私、もう1つ思い切ったことをします。

「この3か月はまじで電子書籍にかけよう、ただでさえ緊急事態宣言とかで幼稚園にも保育園にも子供預けられない絶望的に時間がない状況なんだから、家事と育児と電子書籍以外のことなんてできるわけねーわ」

そう思った私は、せっかく安価だけど頂いていた2つのライターとしてのお仕事を、4月の納品を最後にお断りしました。

そう、また、稼ぎ0円に戻ったのです。

4月末から7月までの3か月間は、家事育児以外の時間はすべて、その電子書籍をメインにすえたライター講座とその課題の提出に投資しました。

おかげで私は、7月の終わりには2冊目の電子書籍を出版しました。
購入して下さった方も多いと思いますが、就学活動についての本です。

この本は、自信をもって晴れ晴れした気持ちで、世に出すことができました。
結果はAmazonランキングの複数部門で1位獲得、ベストセラーとなりました。

同時にこの時点の私には、電子書籍の企画、構成、執筆、編集、出版、その後の販促まで、電子書籍にまつわるあらゆるノウハウが蓄積されていたのです。


電子書籍を出してから、世界が変わった


2冊目の電子書籍の出版を経て、ライターとしての世界が変わりました。

こちらからクラウドサービスなどに一生懸命申し込まなくても、お仕事が舞い込んできたのです。

更に、自分に自信がついて、やりたいことがどんどん湧いてくる。
ただ、育児で時間がない、それだけがネックだけど、毎日が忙しく、やりがいに満ちていました。

とはいえ、私が一番大事なのはやはり子供と夫、家族なので、仕事はできる範囲でしかできません。

息子は幼稚園と療育に通っていて、どちらも2時終わり、しかも療育って、2週間に一度は面談があるんですよ、幼稚園と療育それぞれでイベントごともあるから、行事は普通の幼稚園ママの2倍です。
更に娘は違う保育園に通っているし、子供たちは交代で体調崩す、子供たち帰宅後は、自閉症児とイヤイヤ期まっさかり2歳児の対応で本当に色々ムリ…思うように時間がとれないことが一番の課題でした。

それでも、書くことを仕事にしていられる、一年前には考えられなかった大きな進歩です。

2冊目を出してから5か月ほどたって、昨日、3冊目の電子書籍も出しました。
こちらも、障害児育児に関する本で、先輩障害児ママとの対談本です。

ありがたいことに、こちらもAmazonランキングの複数部門で1位を獲得することができました。

コロナ渦、でも人との繋がりが一気に増えた一年

今年はコロナで、なかなかリアルで人と会えない日々が続きました。
でも、私はこの一年で、本当に多くの人と繋がれました。

ライター仲間も増えました。
そして、同じような境遇で日々をなんとかのりこえている、障害児ママの仲間たちが、Twitter上にたくさんできました。

いつも、本当に温かい言葉をかけてくれたり、応援してくれたり、共感してくれたり、本当にみなさんが大好きです。

そして、いろいろな形で、障害児をとりまく環境をなんとか良い方向に動かしていこう、障害児ママのサポートをしよう、役立つ情報を届けよう、と行動しているバイタリティあふれるママたちの多い事!

世の中には、こんなにすてきな障害児ママたちがいっぱいいるんだなぁと、私もモチベーションをひっぱりあげてもらいました。

最後、大晦日の本当にギリギリになってしまいましたが、またしても暑苦しい思いを綴ってしまいました。

来年も、皆様よろしくお願いします。

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