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グヮシっと心掴んだカウンセラーさんの家族の距離感の話

私の息子は知的障害を伴う自閉症があります。

発達の世界ではお決まりのコースとも言える、1歳半検診でひっかかってそのままあれよあれよと診断に至った形です。

息子は今5歳なので、1歳半から実に3年以上、それはもう数多くの心理士さんや相談員さんやカウンセラーさんや、なんだかもう違いもよくわからないくらい様々な「相談にのることを生業としている人」と話をしてきました。

皆さん、そういう仕事についているので、どう考えても感じ悪いヤバい奴、という人はそうそういません。

でも、言い方悪いですが、いつもなんだか同じような話、同じような返し、マニュアルのようないつものパターンに終始することが多く、結局何を話したのか、何を言われたのか全然印象に残っていないのです。

ただ、私がこれまで出会ったカウンセラーさんの中で、強烈に印象に残っていて、本当に信頼をよせられた人が二人だけいます。

そのうちの一人について、お話ししたいと思います。


あるカウンセラーさんとの出会い

そのカウンセラーさんは、30代くらいの女性です。
どういう場所で出会った人かは身バレしたくないのでここでは伏せます。
とりあえず勧められるままその場所に行ったので、何を話すかもまったく構えず、対面しました。

少しの沈黙があり、ぽつぽつと関係ない世間話などから入っていった気がします。
カウンセラーさんは、本当に必要最低限の相槌しか打ちません。

なんだかせっかくだからと思い、息子のこれまでのこと、障害のこと、幼い娘のこと、今がめちゃくちゃしんどいこと、気が付けばとにかくずっと私がしゃべり倒していました。

その間、カウンセラーさんは声を出すことを忘れたかのように、まじで1ミリも言葉を挟むことはありませんでした。


家族が家族としていられる距離感

ただただ私が話し続けるだけの無双タイムが終わると、カウンセラーさんはようやく口を開きました。

カウンセラーさんにはお姉さんがいて、けっこう重度の障害児を育てているとのこと。
そして、そのきょうだい児も育てている。
カウンセラーさんのお姉さんとお子さんの話を、今度はカウンセラーさんが話し続けました。

話し疲れた私はその話を聞きながら、「なんだか私と似ているかもしれないな、その人」とぼんやり思いながら、会ったこともないそのカウンセラーさんのお姉さん(言葉にするともはや他人)に、なぜだか強い親近感を抱き始めたのでした。

そして、最後にカウンセラーさんはこう言いました。

「姉は、もうありとあらゆる福祉サービス使って子どもを預けまくってたよ。
デイサービス、移動支援、ショートステイ、もう使えるものはみんな使ってきた。
みーーーんなそうやってる。
家族が家族としていられるために、必要な距離感ってあるんだよ。」

細かい言葉尻は曖昧ですが、そういうことを言っていました。


私たちがなぜか自然と抱いてしまっている罪悪感の正体

カウンセラーさんは言っていました。
例えば、障害があって家族と離れて施設で暮らしている人だっている。
でも、その人が施設で暮らすことで、維持される家族の形だってあると。

「家族みんなで一緒の家で暮らしていて、お互いストレスも溜まって疲れ切っちゃって、お互いを愛しい、大切だ、って思えなくなっちゃって、もうどうにもならなくなっちゃったらどう思う?」

「逆に、離れて暮らしているけれど、たまに施設に会いに行ったときに、お互いに相手を大切に思って、会えて嬉しいなって思えて、確かな親子関係が維持されるんだとしたら、そっちのほうがいいと思わない?」

それが、家族が家族でいられるための、必要な距離感なのだと。

この時の目が覚めるような感覚を、私は今でも鮮明に覚えています。

私たちはどうしてか、福祉サービスを利用しまくることに少なからず抵抗を覚えています。

そりゃけっこうな重めの障害を持った子を何年も育ててたら、背に腹は変えられないのでそんな抵抗どっかにとんでいってしまいます。

でもその境地までいく前は、いや、その境地に行った後だって少なからずは、抵抗感がどこかに残っているんじゃないかと思うのです。

ましてや自分の子を誰かに預ける、身内でもない他人に幼いわが子を一人で預けるなんて、とんでもなくハードルが高い人だって多いのです。

だって、定型発達の子の親だったらそんなこと考えもしないでしょう?

このカウンセラーさんの言葉は、そんな、私たち母親が抱えている謎の「罪悪感」を、すっと0にしてくれたのです。

この切り口は、他のどんなカウンセラーとも相談員とも被らない、唯一無二の切り口でした。


自分が目の前の人を救えるというのは驕り

カウンセラーや相談員などの「話を聞くこと」を生業としている人に限らず、友人知人でも、身近な人から割とヘビーな相談や身の上話を持ちかけられることはあるでしょう。

でもそんな時、頭においておいたほうがいいと思う意識があります。

それは、「自分が目の前の人を救える、変えられるというのは驕り」ということです。

そもそも子どもの障害の理解も、適切な対応も、母親は十分わかっているのです。
何度も聞いてきたし、鬼のように調べてきたんですから。

わかっているけどできないからしんどいのです。

そしてどうしてできないかといったら、それはもう障害児の親になってみたことがある人しかわからない心の世界です。

だから、
「自分だったらこの知識でこの人の悩みや困りごとを解決してあげられる」
「自分だったらこの話術でこの人の考え方や行動を変えられる」

なんてことはありません。

解決できる人や変えられる人もいるかもしれないけど、少なくともそれは、こういった驕りが全くの0の人です。

「自分が目の前の人を救える、変えられる」感が出ている人からの言葉は、もう心に入ってこないからです。

この記事で話したカウンセラーさんは、まさにその感じが全くの0の人でした。

このカウンセラーさんと話したのは一回きりですが、私の心の中にはずっと残る濃密な時間です。

今どこで何をしているかわかりませんが、これからも多くの人の心にずっと残る活動を、変わらずされていくんだろうと思います。


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