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勝手にロックダウン日記 現在、近い未来、そして遠い未来 (4/28)

早いもんで、勝手にロックダウンを始めて3週間が経過した。
この生活にもだいぶ慣れてきたようで、原稿や仕事にもそれなりに集中できるようになってきた。非日常が日常になりつつあるのだ。

昨夜、そのようなことをI君に言ったところ、
「ここのところ、慣れてきた、慣れてきたって何回も言ってるよ。本当に慣れてたらそう言わないんじゃない?どこかでは無理してるかもしれないから、気をつけないとね」
と鋭い言葉が。

そう言われればそうかな。確かに夜になるとヘトヘトで、倒れこむようにして眠ってしまう。何もしてないようでもそれなりに疲れてるのだろう。

だから、あくまでも「慣れた」じゃなくて、「慣れてきた」。まだ100%慣れたわけじゃないけど、60%くらいは無意識にこなせるようになったんだ。マスクをつけて自転車に乗るとか、家に帰ったら手を洗ってスマホを消毒することとか、実家の母とフェスタイムするとか、公園では人気のない場所を探す、とかそういうのは、あまり考えずに自動運転でこなせる。この自動運転モードが増えれば増えるほど、疲れないで済むようになりそうだ。

娘もだいぶこのロックダウン生活に慣れたようで、「今日はママがお仕事の日?明日はパパだねー」とその日、その日を楽しんでいる様子だ。ロックダウンが始まったころの最初の数日は、とにかく家の中でもぴったり密着して離れなかった娘だが、今はしばし姿が見えなくても落ち着いている時間が少し増えた。

不思議なことに、保育園に行きたいとか、お友達に会いたいとか、そいういうことは全く言わない。あれほど保育園が好きな人だったのに。幼い分、柔軟性が高いというのもあるし、まだ親といるのが楽しい年齢なのだろう。

ところで、話は激しく変わるのだけれど、(前にもお知らせした通り)いま大船のポルベニールブックストアでは、『晴れたら空に骨まいて』の刊行記念「川内有緒フェア」なるものをやってくれている。とてもありがたい。いま都内の書店の動きは通常の6割程度と言われ、出版界にも作家にとっても凍りつくような逆風が吹き荒れている。そんな中で、大変な思いをしながら開いている本屋さんもあるのだ。

ポルベニールさんは、悩んだ末に週三日だけの営業と決めたそうだ。平時なら、ぜひイベントとかをご一緒するところだが、いまイベントもできない。しかし、せっかくの川内有緒フェア。何年も準備してきた本が世に生またのに、全くなにもしないのもつまらない・・・ということで、代わりに私が考えたのがこれ。

店主の金野さんの3つの質問に答えるというものだ。地味だな・・・。いやいや、地味だけど、いいのいいの。いま派手なことするの、疲れるし。

さてさて、金野さんの質問は以下のとおりだ。

1、「勝手にロックダウン」中、主にどんなことをやって過ごしてますか?
困ったことや、意外と面白いことなど、発見があったら教えて下さい(→現在について)
2、コロナ禍が終息したら、まず何をやりたいですか? (→直近の未来について)
3、このコロナ禍を経て、世界がどのようになっていったらいいと思いますか (→遠い未来について)

なるほど、なるほど。地味だと思ったけど、質問のスケールはけっこうデカイぞ。うーん。

この質問はすで二週間前にもらっていたのだけど、ずっとうだうだしていて、答えられないままでいた。というのも、1は簡単なんだけど、2と3が意外なほどに難しいんだ。特に3番目の質問。いま先が見えなすぎて、遠い未来について考えて書こうとすると、とたんに思考がガッタンと急停止してしまうのだ。でも、発売からもう二週間も経とうとしているし、いい加減に答えてみようと思う。

まず、第一の質問の「勝手にロックダウン」中、主にどんなことをやって過ごしてますか?

この日記を読んでいるみなさんならお分かりの通り、ただ「暮らし」を続けている、というのが答えである。特に誰に会うわけではない。どこにも行かない。血が湧き、肉が踊るみたいなことはなにもなく、ひたすら家族だけの静かな生活が続いている。そんななかで発見したものもある。いや、再発見といってもいいのかも。

それは、若草物語への変わらぬ愛である。

私は中学生の頃から若草物語が大好だった。きっかけは当時80代後半の祖父で、古い文庫本をある日私にくれた。それが、「若草物語」だった。それ以来、私は何度となくこの文庫本を読み返した。マーチ一家の経験するその全てに惹かれた。父親が不在で、女だけで暮らしている、というのもその魅力だったのかもしれない。「晴れたら空に骨まいて」の新章を読んでくれた人ならばわかると思うのだが、私の人生で父というのは、ほとんど不在の人だったのである。

そして、去年の秋くらいのことだ。

突如として、娘にも「若草物語」を好きになってもらいたいという身勝手な思いが募った。そこで、「青い鳥文庫」の若草物語を買ってきて、毎晩のように半強制的に読み聞かせ始めた。娘は拒否もしなかったものの、そう熱狂しているわけでもなかった。まあ、その熱狂度は、「怪傑ゾロリ」や「おしりたんてい」に比べると、100分の1程度といったところだった。

ううう、悔しい。負けてなるものか。どうにか若草物語への情熱を高められないか、と私はさらに画策。レンタルビデオ屋のTSUTAYAにいき、30年前に放映されていたアニメ「愛の若草物語」を借りてきたのである。すると、ビンゴ! 楽しそうに動いている四人姉妹のおかげか、娘は見事に「若草物語」にドはまり!「ジョーは小説家になりたいんだねー」「ベスはピアノがうまいね」「ローリー・ローレンスは優しいねえ」などと言いながら、楽しそうに見ている。私が南北戦争や黒人奴隷を細く解説しながら、さらに面白くなったようで「早く続きがみたいー」と言うまでになった。

というわけで、このロックダウン生活をいいことに、私たちは夕方5時からは毎日少しずつ30年前の「若草物語」を見て盛り上がっている。いまちょうどメグとブルック先生がいい感じだ。
「ブルック先生はメグが好きなんだね!いまね、顔がぽって赤くなったよ!」(娘)
「よく見てたねー。そうね、二人とも真面目なタイプだから合うかもね」(私)
「でも、ブルック先生は、ローリーにさ、早く計算しなさいばっかりいっていていやな感じだよ」(娘)
「そうね、メグももう少し面白みがある人を選べばいいのにねえ」(私)
「ジョーは誰と結婚するの?ママ知ってる?」(娘)
「知ってるけど、教えないでおくよ!びっくりするよ」(私)
「えー、早く知りたい!!」(娘)

以下省略。なんとも幸せなことである。

第二の質問、コロナ禍が終息したら、まず何をやりたいですか?

これは、うーん、答えるのがちょっと難しい。
身近なところでいうと、手も洗わないままに海辺とかでサンドイッチを食べたり、「このサンドイッチ最高だよー!」と言って、他の人に回したり、みたいなことがしたい。

私はもともと「除菌」という言葉が嫌いで、言うなれば「菌と共存」派であった。汚いベッドで寝たり、床に落ちたものを食べるのもへいちゃらで、お腹を壊すこともまずなかったし、少しくらいは菌が体内に入ったほうが健康にいい、とすら信じていた。しかし、そんな私が今はもう様々な除菌グッズを持ち歩き、やたらと洗濯機を回し、誰よりも熱心な除菌ラヴァーになってしまった。おかげで、もう自分のアイデンティティが崩壊した気分だ。

できることなら、もう一回、「菌と共存派」に戻り、自分の飛沫も相手の飛沫も気にせず、直箸で鍋をつついたり、大声で笑いあったり、抱き合ったり、そういう生活に戻りたい。もう少し大きなところでいえば、ヨガ教室にいきたいとか、花見をしたいとか、台湾の屋台飯を思いっきり食べたいとか、沖縄の海でプカプカしたい、いわきで囲炉裏を囲みたい、などがあるが、結局のところは、また何も恐れないまま、自由きままに生活がしたい、というところに尽きるのだろう。

かように私たちの自由はとても脆いものだったんだ、と今更ながらに気づいた。でも今は、来年の桜を見るために、会いたい人に会いにいけるように、サンドイッチのシェアをできるように、今日もロックダウンを続けようと思っている。

少し先の未来。たぶんコロナ禍がおさまった世界というのは、私たちが今まで生きてきた世界とは別のものなんだろうと思う。コロナは、私たち人類のライフスタイル自体や新自由主義的な社会そのものが生み出し、広めたたものである。人間が経済優先で自然環境をぶち壊したり、自由に移動したり、遠くの国々と貿易したりなど、いまのような生活をしていなかったら、コロナが猛威を振るうこともなかった。だから、たぶん私たち人間の生活が大きく変わらない限り、もはや何度でも執拗に私たちの生活に襲いかかってくるだろう。だから、コロナに打ち勝って元に戻ってよかったね、ちゃんちゃん、という未来は訪れない。だから、私が書いた「あの生活に戻りたい」という願望は的外れだし、実は意味のないものなのだろう。

変わるのは私たちの方なのだ。

最後に、第三の質問。このコロナ禍を経て、世界がどのようになっていったらいいと思いますか 。

この質問の答えは、この二週間ずっと考えていた。難しすぎて、質問に答えるのにものすごく時間がかかってしまった。いやいや、答えはわかってたんだけど書くのがためらわれた。ものすごくシンプルにいえば、これなんだ。

愛のある世界。

私は10年前になるけれど「バウル 」と呼ばれる人々を探しにバングラデシュにいったことがある。「バウル 」は修行者であり、口頭伝承の「バウルの歌」を歌い継ぐ人々でもある。いかなる宗教や流派にも属さないままに独自の修行を続ける彼らに、私は尋ねた。「修行の一番高いステージに行き着くにはどうしたらいいんですか」 
ひとりのバウル はあっさりと答えた。
「愛することだ」と。

いまコロナ時代を生き、このバウルの言葉をなんども思い出す。

そうだよ、愛することだよなあって。

自分、家族、友人、隣人を飛び越え、弱いポジションにいる人、孤独な人、森や海、動物を含め、地球の隅々まで愛が届く世界になるといい。勝つとか負けるじゃなく、一緒に生きる。弱肉強食じゃなく、みんなが肉や草を食べる。
めちゃくちゃくさすぎて、なんだそれ気持ち悪い、と思われても仕方がないのだけれど、そう本気で思うんだ。愛することは、世界で一番難しい修行だ。でもそれを達成できたら、世界はもっと明るく幸せな場所になる。

だから、答えはこれ。
アフターコロナの遠い未来は、愛のある世界になるといいと思う。たぶんそれでしか人類は生き残れない。そういうところまできてるんじゃないかな。




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