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娘たちはその手を離さなかった(日記 8/24)

人間の行動というのは、読めない。いつのことだったか、時間は未来から過去に向かって流れている、という記事を読んだが、本当にそうかもしれない。過去は私たちの行動を川の流れのように形作っていくが、未来はいまの私たちの思考をゆるやかに縛り続ける。よりよき未来へ。そう思えば思うほど私たちは今を変えたくなるのだ。

しかし、このコロナ禍は、未来をより混沌としたものに変えた。だから、まるで予測がつかない未来に抗うかのように、ここにきて私はもっと静かで落ち着いた場所を求めるようになった。というわけで、私たちはこのコロナ第二波のど真ん中、夏の一番暑い時期に引っ越すことに決めた。

未来云々というよりも、もしかしたらただの性格の問題なのかもしれない。考えてみれば、とにかくフランスから日本に戻って来て以来、3年ごとに引っ越しを繰り返している。いや、もっと振り返るなら大学を出て、実家を出た後の25年間でもう12回も引っ越している。一番長く暮らしたのは、パリのサン=ジェルマン・デ・プレの部屋だ。とても自分にしっくりくる部屋だった。だから4年間も窓から同じ景色を眺め続けられた。小さなカフェがある石畳の小道だった。

先週まで住んでいた武蔵小山の部屋も全然悪くなかった。というよりも、実は、とても好きだった。高台に建つマンションには、窓がたくさんあり、変わりゆく空や桜並木をいつまでも眺められた。1日が終わるころ、夕焼けや遠くに見える富士山を見ていると、幸せな気分に包まれた。

しかし、コロナで別の問題が浮上した。その部屋は家族三人が1日を過ごしたり、仕事をしたりするにはかなり狭かった。そして、この先娘はぐんぐん大きくなり、もっとパーソナルなスペースが必要になるだろう。このままこの高台のマンションで暮らし続けることは難しいことは明らかだった。

思い立ったら吉日。先週、杉並区に引っ越してきた。気分一新。空は以前みたいに大きく見えないけれど、大きな池がある公園まで徒歩10秒。

しかし、今回の引っ越しはいままでと全く異なるレベルの懸案事項があった。そう、娘の保育園を転園しなければいけないのだ。0歳から通った保育園には、私自身もとても思い入れがある。初めての子育てをする上で、保育園や保育士の先生たちの存在は、大きな支えだった。

だから、引っ越しを決める前に、私たちは娘に聞いた。
「家は広くなるけど、お友達とバイバイしないといけなくなる。どう思う?大丈夫かな?」

「そんなの絶対やだ!」

きっと娘はそういうだろうと予想していた。
なにしろ、娘は通っていた保育園には0歳の頃からの大親友のTちゃんがいる。二人は本当に仲が良くて、私はよく「二人はまるでアンとダイアナみたいだよ」と言ったものだ。(そんな時、娘は「アンとダイアナじゃないよ。ナナとTちゃんだよ」と律儀に言い返した)。

二人は、1秒でも長く一緒にいたいから、夜になると「早く寝て早く保育園に行きたい」と言い、帰りもできるだけ一緒に帰りたがった。同じ道を歩いて、最後に駅前の花壇に咲いているひまわりの花を見つけて「ひまわりだよ!」「きれいだねえ」と言い合う。それが5歳の夏の日課だった。

そして、Tちゃんだけではなく、保育園のクラスの14人は、とても仲がよかった。こんなに仲が良くて穏やかなクラスはとても珍しいです、と先生が繰り返し言うほどだ。

きっと娘はお友達と離れることを全力で嫌がるだろう。それならそれで、それで引っ越しは諦めよう。別に何とかなるさ。そう思っていたところ、予想に反して娘は言った。
「うん、寂しい。。。けど大丈夫。引っ越してもまた会えるよね」

これにはびっくりした。まだ5年しか生きていない小さな人。しかし、娘は娘なりに考えるところがあったのかもしれない。それに、娘の性格からすれば、いやなときは絶対に嫌だと言う。だから、彼女が大丈夫と言えば、それは大丈夫だろう。

幸いにしてTちゃんのファミリーとは仲良くなり、この先も会える関係なので、二度と会えないわけではない。かくして、私たちは新しい保育園に申し込み(やたら大変だった)、引っ越しという目標に向かってダッシュし始めた。

引っ越し前の最後の登園日。
その日は、いつも通りだった。
ただ、保育園に朝送りにいった夫が言った。
「園長先生もM先生も涙ぐんでたよ」
M先生というのは、娘が0歳のときの担任の先生だ。その後も、ずっと保育園で娘の成長を見守ってくれていた。
「そっか、先生達が・・・・・」
私は言葉に詰まった。先生達は毎年別れを経験しているはずだ。それでも娘の行先を案じ、寂しがってくれている。その思いに胸が打たれた。

夕方、イオくんと二人揃って娘を迎えにいった。先生達や他の保護者の方達に挨拶をする。園長先生も私たちがくるのを待っていてくれて、やっぱり目に涙を浮かべている。
「今日お別れ会をしたのですが、ナナちゃんはもちろん、他の子ども達もみんな泣いちゃったんですよ。男の子たちもみんな、みんな泣いていました」

しかし、実際にクラスの部屋にいくと、そのしんみりモードはすでに消えているようで、みんな元気いっぱいだった。心からホッとした。子供達はみんなで仲良く遊び、そして最後は「また遊びにきてねー」「うん、くるねー」「バイバイ」「うん、バイバイ」と言って別れ、保育園を後にした。

娘が比較的元気にあっさりみんなとお別れできたのには、理由がある。この後、実はTちゃんのファミリーとみんなで夕飯を食べにいくことになっていたのだ。娘はそれをとても楽しみしていたので、前向きな気持ちで保育園を後にすることができた。

向かったのは広い個室がある居酒屋で、店の中にはガランとしていた。娘とTちゃんは思う存分に広い部屋で遊び続け、大人は何杯もお酒を飲みながらキムチチゲやピザ、サラダなどを次々と平らげた。普段だったら8時くらいにはバイバイするところだが、Tちゃんのご両親も私たちも「そろそろ」と言い出せなかった。

この先、二人はなかなか会えないんだよなあ。

そう思うと心が痛んで、「今日は特別!もう少しだけいいよね」と思った。

しかし、時間というのは未来に向かって着実に流れる。夜9時になりさすがに「そろそろ。。。」ということになった。

駅まで歩いて行く間、娘とTちゃんはしっかりと手を握り合った。こうして二人は何年間も一緒に帰ってきた。そして二人は、これがその最後だということもしっかりとわかっていた。

駅までの道は3分くらい。だから、すぐに本当のお別れが近づいてきた。

二人はただしっかりと手を握り合っていた。

「さあ、そろそろ自転車に乗ろうね」
私が声をかけるが二人は決して手を離そうとしない。
そして、いつまでもその場を動こうとしなかった。
「また会えるよ。今度はお泊りにきてもらおう」と声をかけるけど、そんなことではもちろん納得できあない。二人はひとつの岩のように寄り添って固まっていた。

そして、手を握り合ったまま、二人は見つめあった。それがたぶん二人ができる唯一の抵抗だった。
「ひまわりが咲いてるよ」
「少し枯れかけてるね」
「うん、枯れちゃうのかなあ」
二人は手を握り合ったまま言いあった。

そうして、何分もの時間がすぎ、二人はようやく手を離した。
これが娘が初めて経験した別れ。
握り合って離さないその二つの小さな手を思うと、私は今日も切ない。

私たちは、未来をより良きものにしようと思いながら、なんども別れを繰り返す。時には恋人や親友と別れ、国境を超え、大切なものを手放す。そうしながら生きていく。それはわかってる。それでも別れは切ない。

今でもあのひまわりは咲いているだろうか。




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