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「パラサイト」の家族はどうしてそんなに罪悪感がないんだ!?

たまには映画の話をしたい。
1月のおわり、「パラサイト 半地下の家族」と「プリンズンサークル」と、映画を立て続けにみた。どちらもすごい映画で、「ほんと映画って素晴らしいですね!!!」という淀川長治さんのセリフをそのまんま伝えたい。

「パラサイト 半地下の家族」は、韓国における格差社会を描いたものらしい、そんな前評判だけは耳にしていた。タイトルが示す通り、主人公は半地下に住む失職中の家族四人(両親と19歳〜21歳くらい?の兄妹)。仕事にもお金に困っているらしいその四人は、身分や経歴を偽り、家庭教師や家政婦、ドライバーとしてあるお金持ち家族の豪邸に入り込み、パラサイトしていく。

物語の中盤、金持ち一家はキャンプに出かけ、半地下一家は豪邸の主不在をいいことに、やりたい放題のどんちゃん騒ぎを繰り広げる。その辺りから、映画のタッチはコメディーから、ホラー&サスペンスに変化する。この長調から短調への見事な転調ぶりも見所だ。

ひとつのジャンルにとらわれない自由さや、リッチ&プアの格差の描き方もキレキレで、エンタメとしてとても面白く見られる反面で、見終わったあとの後味の悪さも格別である。

なにしろ、この物語は、「予定調和」や「話の展開の定石」をまあまあことごとく無視している。その予定調和じゃない感じが、なかなかのレベルのぞわぞわ感を生み出しているのだ。

特にすごいと思ったのは以下の3点。(ネタバレ注意! これから見る人は読まないでください! 別にちゃんと調べて書いていないので細部は間違いもあるかも、スルーしてください)

① お金持ちがやたらピュアで、めちゃくちゃ騙されやすい。

ほんとに。もうこのリッチな家族は絵に描いたようなカモである。特に妻(母親)の方は、そんなに簡単に人を信じていいのか、ダメダメ、もっと人を疑いなさい! とアドバイスしてあげたくなるほどピュアな性格(しかもすごく可愛らしい)。

これがツンツンしてたり、意地悪だったりしたら、この人たちも騙されてもしゃーないな、うんそうだ、そうだ!と見る方は半地下家族に肩入れしちゃう可能性もあるのだが、この映画では全くそうじゃない。彼らはそれなりにいい人たち(善人というのとは違うけど、少なくとも悪い人々ではない)として描かれるのだ。そして、なんと理不尽なことに、良い人たちで、何も悪いことをしていないにも関わらず、めちゃくちゃひどい目に合う。それが世の中によくある物語(強者=悪い人、弱者=いい人たち)や勧善懲悪的セオリーを覆している。見事だ。

② 「半地下」の下のさらなる「地下」への冷たさ

金持ち一家が住む豪邸には、実は、地下に潜伏するもう一つの家族がいることが発覚する。私は、直感的に二つの家族は助け合い、リッチファミリーに対して結託して何かをするのではないかと思ったのだが、その予想は完膚なきまでに外れた。パラサイトしている「半地下」のファミリーは、もうひとつの「パラサイト」である地下の家族にとことん冷たい。「半地下」は「地下」を見下し、地下家族同士の美しい助け合いや慈愛の精神はほぼゼロである。もう自分たちを守るためなら、お前らなんかどうなんてもいい!というむき出しの負の感情に触れ、映画を見る人間の心に冷たい風を吹かせる。これもまた「えー、そうくるか!」と思わせる場面だ。いやあ、ある意味で、お見事である。

③ 「半地下」たちは、最後まで自分たち家族のことしか考えていない。

最後に、「お金持ち一家」も「地下家族」も、実は何ひとつ悪いことをしていないのに悲惨な末路をたどる。すべての元凶はもちろん「半地下家族」である。もちろん彼らも、家族が亡くなったり、罪に問われたり、病になったりと社会的制裁や肉体的試練はあるわけだが、それでもエンディングまで見ると、特に罪の意識が芽生えた様子もなく、自分たち家族のことだけを案じるだけで終わる。彼らには、人を騙すことにも、さらに弱い立場の人を蔑むことにも罪悪感がない。自分たちが犯した罪に責任をとるつもりもない。自分たち家族以外のこと以外にとことん無関心なのかもしれない。

以上三点が、私が感じた映画「パラサイト」の居心地の悪さである。要するに、悪は駆逐されたぞ、おめでとう、もなく、温かい人間愛を感じさせる場面もなく、罪を犯したものが反省する、ということもない。あああ、なんだろう、居心地悪すぎて、今日も背筋がゾワゾワするぞ。

しかし、さらに振り返ってみれば、お金持ちの一家もまた罪悪感が欠如した能天気な人々である。大雨や洪水が起こった日、街の人々は大変な目にあい、避難を強いられているというのに、自分たちは同じ日に優雅で豪勢な誕生日パーティを企画し、大変なご馳走を準備し、中庭でチェロなんか弾いているのである。彼らには他の人たちが置かれた現状なんてどうでもいい。というか、まるで見えていない。「半地下の家族」がその前日どんな大変な目にあったかも興味がない。

それが、最終的には一連の悲劇を生み出し、お金持ち一家に対する復讐・制裁として還ってゆく。だから、社会全体を俯瞰してみれば、もちろんお金持ち一家もまた一連の悲劇のトリガーとなり、間接的な加害者といえるのかもしれない。

この映画のすごいのは、まさにこの現代の社会における加害者と被害者の入れ子状態、そして異なる階層に生きる人に対する、お互いへの想像力や罪悪感の欠如をあぶりだしたことではなかろうか。だから、居心地が悪いだのなんだのといっても、全ては一つのリアルな現実なのである。エンタメ、コメディ、ホラー、サスペンスなどの虚構が何重にも重なり合って、分断した社会や社会的無関心のシビアな現実がとことん描かれる。いやはや、ほんとにすごいものを見せてもらった。

……と、今日はここまで。
次は「プリズンサークル」について書こうと思う。自分のなかでこの二つの映画は見事に繋がった感じがあるのだ。キーワードはやっぱり「罪悪感」のの欠如。「パラサイト」で感じた、得体のしれないゾワゾワの正体を紐解くヒントは「プリズンサークル」にあった。それでは、また、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。映画って本当に素晴らしいですね!


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