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勝手にスローダウン日記 編集者は言葉を持とうよ

夏が近づいている。扇風機がずっと壊れたままだったので、イオ君はついに扇風機を買ったが、まだ届いていない。

窓を開けていたら、窓から変な羽のついた虫がはいってきたので、イオくんがつまみ出そうとした。

「いってええ! いてててて!!!」 

逆に虫に噛まれてしまった。うわ、あんなちっちゃい虫が噛むのか? そんなに痛いの?おおー、怖いぞ。

私は前にテレビで見た東南アジアに生息するというコワい毒羽虫かもしれないと思ったが、名前が全く思い出せなかった。
「そんなの日本にいないでしょ」とイオ君は言うが、わからない。いま日本も熱帯化してるみたいだし。

必死に思い出そうとジタバタしていると、娘が抜群の記憶力で「ハネカクシじゃない?」と教えてくれ、ネット調べたところ、そうだった。しかし、さっきの虫はどうやらハネカクシではなく、ただの羽虫のようだ。
いやあ、噛むんだねえ、羽虫くんも。窮虫、男を噛む。
「助けようと思ったのにな。これからは、あいつらにあまり恩情をかけないことにしたよ」(イオくん)
というわけで、うちには来ない方がいいよ。

さてさて、いったん川内家のロックダウンは終わったものの、その生活ぶりは、実は以前とあんまり変わらない。日々チャリンコに乗り、オンラインで喋り、家でご飯を作り、食べ、娘や夫としゃべって、ちょっと本を読んで寝る、みたいな感じ。

「一回、こういう生活しちゃうと、あんまり外で食べたいと思わなくなったなあ」
とイオ君はいう。私もロックダウンが始まった直後は、出かけたくてうずうずしていたが、いまはあらゆる欲望がすっかり減退した。そう、人間ってほんとすぐ順応しちゃうだな。ヨガも教室じゃなくてしばらくは動画でいいかとか、外食する代わりにスーパーでいい目の肉を買おう、みたいに。それが繰り返されると、すっかりライフスタイルとして定着しちゃう。

いままでの「経済」は人間の「〜したい」という欲望に支えられてきたわけだが、自粛を続けた結果、欲望自体が減ってしまったというわけだ。それはまさに経済界が恐れることだろう(それでも、やっぱり必要とするものもある。私の場合は、大きな公園と本屋さんと映画館と美術館。それがない生活を長く続けるのはちょっと無理だ)。

というわけで、前みたいなフルスロットルで遠くに出かけ、取材して、原稿書きまくるぞ!という日々にはまだまだ戻りそうにない。ま、ゆっくり、ゆっくりでいいや。勝手にスローダン。だから今日からは、勝手にスローダウン日記にタイトル変更。

最近嬉しかったことは、三輪舎の中岡さんが、次の「バウルを探して」の「制作手帖」を書いてくれだ。

私が心を打たれたのは以下のところ。

「一方で、この本はもう一度、世に出ることを自ら求めている、と思った。ダッカの喧騒、ガンジス、タゴールが黄金と唄ったベンガルの大地の風景、バウルの肖像を収めた写真は、原稿が書き上がるのを待たずに急逝した中川彰の、いのちそのもののように思えた」

いのちかあ。

そう言われたらそうだなあ。
実際に中川さんは、この世を去る直前まで暗室にこもって写真を焼き続けていた。すごく手間のかかるプロセスだから、今では推察することしかできないけど、たぶん道半ばだったんじゃないかと思う。どうしてかというと、絶対に撮ったはずなのに、現像されていない写真が思い当たるからだ。彼はこらわりがむちゃくちゃ強く、納得いくまでなんども写真を焼き直す人だった。だから、色味が違うな、もう一度トライしてするか、とやっている合間に急逝してしまったのではなかろうか。

編集者である中岡さんがそれを感じとってくれ、本に新しい命を吹き込み、そして、その思いを文章にしてくれたことが嬉しかった。(ぜひ全文を読んで欲しい)

大手版元の場合、一部の編集者を覗き、編集者が自分の言葉や、自分の名前で発信することはほあんまりない。帯や宣伝文句は書いてくれるけど、「個人」としての言葉は全く聞こえてこない。

そして本が出版され、販売フェーズに入ると、多くの仕事が営業部や宣伝部に引き継がれ、編集者は完全に舞台裏に引っ込んでしまう。たぶん以前はそれで問題なかったし、それがよしとされてきた。しかし、時代が流れ、今は誰でも好きなように発信できる時代になった。だから、出版社がtwitterをしたり、noteを書いたり、動画を作ったりと、いまはいろんな試みがなされているわけだが、どうしてだが、実際に自分の言葉を発信する編集者はやっぱり多くはない。舞台裏にいることに慣れすぎてしまっているのか、そもそも自分の仕事じゃないと思ってるのか、発信の仕方がわからないのか、その辺の心情はよくわからない。

だからこそ、自分の言葉を持つ編集者はとても強い。別に派手に宣伝しまくったり、お祭り騒ぎを演出する必要はない。別に上手い文章を書かなくてもいい。(中岡さんは実に上手だけど)

ただ、どういう思いでこの本を作ったのか、それを自分の言葉で語ることは必要なことではないだろうか。せっかく企画会議を突破させ、長い間著者を励まし、何度も原稿を読みこみ、さらにゲラを読み直し、帯や宣伝文を考え、それこそ何年もかけて世に送り出した本じゃない? 最後に、もうひとおし、その思いを自分の言葉で伝え欲しい。それもなしに、ただ「本が売れないですね、残念ですね」と言うのは、違うんじゃないか。
それをまた思い出させてもらった。


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中川さんの写真が表紙になった新たな「バウル を探して」。



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