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いわゆる自己紹介的なやつ

ライター/コピーライターの池です。

職歴は広告会社メディアバイイング担当→広告会社クリエイティブ→ウェブメディア→IT企業インハウスライター→フリーライター(略してフリーター)を経て、現在外資系フィンテック企業のインハウスコピーライターです(詳細は後述)。

それ以外のパーソナルな情報を簡単にまとめると以下のような感じになります。

神奈川県出身

正確には横浜市生まれ川崎(北部、東急が開発した田園都市線沿いベッドタウン)育ちです。1歳から高校を卒業する時まで約18年そこで過ごした、いわゆる故郷が川崎になります。

身長193cm

リアルに会うと必ず聞かれる身長は193cm。ビッグフラーイ、大谷サンと一緒です。が、人間の器と能力、そして稼ぎは言うまでもなく比べ物になりません。サーファーで言うとオウエン・ライト(AUS)と同じぐらいです。海外のプロサーファーでもあまりデカい人がいないので、僕はオウエンを応援……しています……(;´Д`A

5人家族

妻は同じ団地に住んでいた幼馴染です。幼稚園、小学校、中学校、高校まで同じところに通っていました。が、2006年に結婚するまでは全く別々の人生を歩んで来ています。

子供は長女(2007生まれ)、次女(2010年生まれ)、三女(2015年生まれ)の三人。長女が誕生した時、感情の昂りをそのまま日記にしたためたので、次女三女が生まれた時も書かざるを得なくなりました。それらの誕生記が以下のものです。

中高大学までバスケ部

身長が身長なのと(中学時代から高かった)、兄(192cm)の影響もあり、中学からバスケをはじめ、最終的には中央大学の体育会(結構名門)バスケ部まで続けました。しかしバスケIQは極めて低く、身体能力の高いNBA選手のプレーを真似しようとしてばかりいたのであまり大成しませんでした。

あの頃から、例えばノビツキーとかナッシュの上手さにカッコ良さを感じ、彼らの動きを研究するなどしていたら、全く違った選手になれていたかもしれません。僕は“たられば”が大好きです。

趣味その1:サーフィン

25歳の頃、当時勤めていた広告会社のサーファー同期がハワイでロングボードを購入してきて、僕にそれを「オマエのボードだよ」手渡しました。その時「なんていいヤツなんだ!こいつの優しさに応えてサーフィンを頑張ろう!」と思ったのが、遅咲きな僕のサーフィンの始まりです。

しかし、後から考えれば、そのボードに対して僕はお金を払わされたし、そいつはおそらく手ぶらでハワイに行って、現地で手頃な価格のボードを購入し、それで自分がサーフィンを楽しんだ後、僕に手渡していたのです。そのロングボードにはリペアの跡がいくつもありましたが、当時はそれがどういう意味を持つのか知る由もありませんでした。

その後、30を過ぎるまでは、波乗りそのものよりも、仲間と海に行く、ということだけにコミットしていたし、ちょっとでも風の影響があるコンディションの時など海まで行ったのにサーフィンしない、という日もあったり、冬には「早く帰ってスロット打ちに行きたい」と考えるダメ人間でした。

しかし、結婚を機に自分が自由にできる時間の尊さを嫌という程理解し、そこから初めて真剣にサーフィンに打ち込み始め、それと共に板の長さも徐々に短くなっていきました。

僭越ながら、無印良品のアウトドアに特化したオウンドメディア、「外あそび」に、そのあたりの話を寄稿させていただいたこともあります。


なので、サーフィンを始めてから今年で20年ですが、本当の意味でのサーフィン歴は15年ぐらいだと思います。

サーフィンが好きすぎて、WAVALというサーフィンメディアでライター登録をして記事を執筆したことが、その後のライターとしての人生を切り拓くキッカケにもなっています。


趣味その2:クラフトビール

ウェブメディア時代に国内大手飲料メーカーのオウンドメディアに関わった際、いくつかのマイクロブルワリーの方々を取材する機会がありました。それまで、柑橘系のホップの香りの存在すら知らなかった僕は、クラフトビールの味に驚きました。同時に、味よりももっと興味深かったのは、ブルワーの皆さんのストーリーです。大手企業を辞めてゼロイチでクラフトビールの世界に飛び込んでいくブルワーの皆さんの表情は、漏れなく輝いていました。

当時はポートランドブームの只中だったこともあり、アメリカのクラフトビール業界の様子をインターネットで覗いた僕は、そこでも衝撃を受けます。

ビールと言えば、衛生服に身を包み、工場で大量生産をしているイメージしか持っていなかったのですが、ホームブルーイングを礎にしているアメリカのブルワーは、皆ゴリゴリにタトゥーが入っていたり、見事な髭を蓄え、ベースボールキャップにヴァンズのスニーカーでビールを醸していたりするのです。シンプルに「かっちょい〜」と憧れる世界観でした。そうです。僕はミーハーなのです。

シドニーに移住した今、クラフトビール事情に関しては天国です。シドニーには上記のようなイケてるマイクロブルワリーがひしめいており、“Decent beer(ちゃんとしたビール、本格的なビール的な意味合い)”が選び放題。加えてホームブルーイングは合法です。

noteでもシドニーのクラフトビール事情や、サーフィンと並んで大切なアクティビティとなったホームブルーイングに関しての記事をまとめています。


noteについて

僕は何かしら感情が昂ぶったりする時にそれを書き記しておきたくなる性質のようで、上述した子供達の誕生記や、母が逝去した時の手記もその類のものになります。

それ以外で言うと、日記が2種類あります。どちらも海外生活についてです。

ちゃんと育児セントーサ

妻と長女は過去に4年ほどシンガポールに(妻の仕事の都合で)住んでいたことがあり、その時は日本とシンガポールで「前向きな別居」状態だったのですが、次女をシンガポールで出産したことをキッカケに僕が9ヶ月の育休を取得してシンガポールに渡りました。

シンガポールでは住み込みのナニーがほとんど全てをやってくれていたので、今思うと僕は非常に手持ち無沙汰だった(当時はそれでも大変だと思っていましたが)こともあり、仕事復帰までのエクササイズ代わりに毎日日記をしたためていたのです。

当時はnoteがまだ存在していませんでしたから、こちらは別のブログサービスからの移植版です。ちなみに、育休期間が2010年〜2011年だったため、僕は東日本大震災を生身で体験していません。

ちょっくらオーストラリアに移住してみた

そしてイマココ的な存在のnoteが、オーストラリアに移住した現在の日記です。またしても妻の仕事関係で今回の話が持ち上がり、移住するかどうかを妻から問われた際、僕の脳裏に浮かんだのは——

オーストラリア=サーフィンが国技。ホームブルーイングが合法のクラフトビールのメッカ——

「移住しよう!(*゚▽゚*)」

0.5秒で答えていました。

勢いで仕事も辞めて45歳にしてフリーターになりましたが、人生は一度きり。こんなチャンスももうないと思うので、後悔はありません。

シンガポール移住時は東日本大震災が、そしてオーストラリア移住時にはCOVID-19で移住直後にロックダウン。なんだか我が家は有事の時を選んで移住しているとしか思えません。

こちらの日記、当初は日本語で書いていましたが、ちょっと思うところがあり、短期間で英語力を上げたいと考え、6月初旬から英語で書くことにしています。中学生レベルの英作文ですが、人様に見せるというよりは、完全に自分のためだけにやり続けているような状態です。

このページは、僕という人間を表現するのに書き記しておくべきと感じたことを思いついた時に、随時アップデートをかけていく予定です。

フリーター卒業

※2021年3月15日追記

この自己紹介を書いてから、色々と変動があったので、それについて更新しておきます。

まず、まもなくフリーライターの看板は下ろすことになります。なぜなら、フルタイムで就職するからです。

拾ってくれたのはSquareという、アメリカのフィンテック系企業です。

オーストラリアに移住して5ヶ月目ぐらいに、Linkedin経由でリクルートエージェントから声がかかり、同社の日本語コピーライターとしてパートタイム契約社員として働き始めました。そしてしばらくフリーライターとの二足の草鞋を履いてきたのですが、このたびフルタイム社員へコンバートすることになりました。

Squareという企業はとてもユニークで、コロナ禍に陥る前から、社員が働く場所に制限がなく、一つのプロジェクトを色んな国に住んでいる社員と一緒に推進する、という働き方をしていました。これは、CEOのジャック・ドーシーのポリシーでもあるようです。

おかげで僕も、アメリカのプロダクトマネージャーの指揮のもと、シドニーにいながら、日本のチームメイトと、日本市場のためにコピーを書くという、今の時代にマッチした働き方ができています。

僕が今のチームに拾ってもらえたのはラッキー以外の何者でもなく、それは多分、ロサンゼルス在住の直属の上司がサーファーで、面接の時サーフィンの話で盛り上がったからなんじゃないかと、半分ぐらい本気で思っています。

サーフィンやっててよかった!と思うことがまた一つ増えました。

日本初のリアルサーフィン小説「ビジタリズム」

今後、フリーライターとして記事制作していた時間は、完全に自分が書きたい物を創作する時間に充てようと思っています。

ずいぶん前から、サーフィン小説を書くということはいつか実現したいと考えていたので、この機会にそれを実行に移しました。

これは、僕が人生においてとことんサーフィンをやり切ったと思うための一つのチャレンジです。

1回3,000文字程度の連載となっていて、進捗は遅いのですが、淡々と、やれるところまでコツコツ積み上げていこうと思います。


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