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期待しすぎない

「期待しすぎない」ことと「相手を変えようとしない」って同じことなんだって気づいた話。また、見えないもの、分からないものへ抵抗があるのとも同じじゃないかって思った話。

この記事を音声化しました ↓

From:ありのまま@9 #教員生活20年 #The潜在数秘術man

ベットの上で、、、

イラっとする感情ってあるよね。

僕はそれを抑えようとする気持ちも働く。

大きなことでも小さなことでも自分の中で処理しようとする。

それは良いところでもあり、悪いところでもある。

大きく相手と衝突しないという点ではすごく良い。

ただ抱えきれなくなった時、自滅する点はマイナスだ。

どんなことでも一長一短。

だから今のところ「なおすつもりはない」。

だからといって何もしないわけではない。

思考癖はそのままにして、それ以外はレベルアップしたい

というのは常にある。

わかりにくいよね。

自分でも言語化しにくい。

最近、イラっとした時に

どうしてイラっとしたんだろう

って考えるようになった。

現時点での結論は

「相手に期待しすぎている」

っていうこと。

自分の感覚のフィルターですべてを見ちゃっているから

「これくらいできるだろう」

とか

「こう言ってほしい」

とか

「こうやって欲しい」

って無意識に期待している。

それが強すぎると、イラっとするんだろうな

って思う。

我が子に対してフラストレーションが溜まるときもそうじゃないかな。

こういう子になって欲しい

って大事な想いだけど、

それが強すぎると自分にとっても子供にとってもよくない。

子供にも子供の世界観がある。

それを大事にしたいと思うから、

期待よりも何をしたがっているのかを見るようにしたいよね。

子供は親の所有物ではないしね。

今、言語化してみて納得する反面、

当たっているようでちょっとズレているようなモヤモヤが残る。

でも一旦「7割主義」

ここまで捉えられたということでよしとしたい。

「期待しすぎる」って、

自分の想定どおりを相手に求めていることと同じじゃないかと思う。

それが間違っていなければ、

「期待しすぎない」ことと「相手を変えようとしない」ことは

同じ思考ということになるんだろう。

「期待しすぎない」ってみると

何だか寂しくなるフレーズだ。

でも「期待しない」ってことではない。

期待はしている。

無意識に期待はしている。

意識的に期待しすぎないようにしているだけだ。

つまり

相手がどんな選択をしても構わない

という懐の大きさでもあると思う。

そう言った点で「相手を変えようとしない」が同じように感じている。

数年前、僕はある挑戦をすることになった。

その直前に、同じ挑戦をした先輩に偶然再会する機会があった。

その先輩に今回の挑戦に向けて、アドバイスをもらいに行った。

その時のアドバイスが衝撃で僕にとって強烈なインパクトを残した。

『特に僕は相手にどうなって欲しいとかこうすればいいのにというのはない』

最初は冷たさを感じたが、

すぐその後に何だか安心するような心地よい暖かさを感じた。

つまり「相手に求めすぎない」ってこと。

もしかしたら、「できないなら自分がカバーすれば良い」

と思っているのかもしれない(今度、聞いてみたい)。

不思議な感覚だった。

さて、相手を変えようとするって、自分の思い通りに動かしたい

っていう想いが強く出ちゃった形だと思う。

それは自分の想定を超えられたくないということではないだろうか。

つまり「分からないこと」「知らないこと」への恐怖ではないか。

「見えないもの」への恐怖ではないか。

僕も幽霊って、めちゃビビってる。

今まで一度も見たことないし、なんなら霊感0って確信しているのに

幽霊のことをめちゃびびってる。

理解できない世界とか理解できないものって怖いよね。

これって相手を変えようとすることにも近い思考じゃないかなって思う。

何だかよく分からなくなってきたけど、

「期待しすぎない」ことと「相手を変えようとしない」こと

さらに「見えないものへの恐怖」にはつながりがある

ってことはボヤッとわかった。

今日はそんなまとまりのない話でした。


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