人魚の友達


人魚が死なないというのは嘘で、いつか寿命が来る。どんなに生きても、死に向かっているのは人と同じで、少し長いか短いかの差らしい。
もうすぐ死ぬという人魚が、何かと人の話を聞きたがる。人魚に聞かせるほどの話を持っていないので、絵本を読んで聞かせた。人の絵本、動物の絵本…… 人魚に人魚の絵本を聞かせると、泡にはなれないと、悲しそうな顔をした。


いつも水面から見ていた。船に乗っている人間の男だ。後をつけて泳いで、気付いてほしいと願った。そして男が仲間と笑い合っているのを羨んだ。私には仲間がいない。死ぬか、人に捕われていなくなった。男に気付いて欲しかったが、きっと私も捕まる。それでも認知されて、男の瞳に映る方が幸福のようにも思えた。
人間に殺される仲間の顔が浮かぶ。忘れるなと、心に取り憑く。恐怖と恥ずかしさで、私は隠れて見つめることしかできなかった。
男はいつも、海を睨んでいた。その顔が好きだった。男は嫌いだったのかもしれない。海も、私も。
もう、これ以上はついていけない。生まれた場所から離れたくなかった。人魚にも故郷はある。
最後に男を思って歌おう。そうして、きれいで不思議な記憶として残ろう。もう、海を睨まなくて済むような歌を。
そうして歌った。必ず記憶に体に残りたいと、願いながら。
少し船を眺めて離れようと決めたとき、船から煙が上がった。船は煙に包まれ、火は人を追いかけた。海へ飛び込んだ者もいた。助けることもできたが見捨てた。
遠くから船を見つめていると、男だけが船上でゆれていた。炎の中ゆれる男は、踊っているようで何よりも何よりも、美しかった。
私はできることなら、あの男のように炎の中で踊りたい。そう願った。何年も何年も願った。自分の寿命を悟ったとき、海の底で腐る肉が次々頭を過った。友達も何もかも、最期は同じようなものだった。

人魚の歌を聴きたかった。人魚は歌を、不幸なことだと言う。それでもと頼んだとき、瞳に私はいなかった。
「貴方は不幸になるわ。必ずよ。それでも聞きたい? 歌えば私の願いを聞いてくれる? 私はもうすぐ死ぬわ。それまでに、燃えたいの。貴方は私を、燃やしてくれる?」
頷いた。だけど、自分もいっしょに死のうと決めたことは言わなかった。人魚がいっしょに死にたかったのは、私ではないから。
海辺の、昨日と変わらない風景。人魚は今日も何もないような顔で待っている。背中からびっしょり濡れながら、人魚を背負って海から引き揚げた。
少しの時間、海を見ていた。私は人魚のことを考え、人魚はきっと、別の人間のことを考えている。


あの日、船で死んだ男は自分で火を点けたのではないだろうか。何があったかは分からない。いざ死ぬとなると、私は怖かった。死ぬことと殺すことを覚悟した姿が、好きだったのかもしれない。遠い記憶には、もう顔がなかった。砂の上に横たわった私は、人間の少女に歌った。どうか私を忘れて。呪いにならないように、忘れるまで生きて。


人魚の歌は、聞いたこともないような音だった。歌声というには苦しく、焦燥感に駆られるような音だった。早く逃げろと、頭が叫んでいる。それなのに、美しいと懐いて体が離れられない。うつむいて目をつぶった。
「火を点けたら、すぐに離れて」
無視して人魚を抱き、灯油を被った。濡れた体で、マッチを擦ると私たちは燃え上がった。人魚はじっと横になっていた。苦しみなどないように。
叫び、暴れ、人魚に手をのばした時、人魚は微笑んで瞳を閉じた。

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