人魚をさがして


 古い宿に泊まる。着いたらすぐにでも帰りたくなったけど、今日の汽車にはもう、間に合わない。最終は20時だった。
「カビの匂い、海苔のついた煎餅、パリパリの浴衣。何ひとつ良く思えず、貴方が最期、どうしてここへ来たのか不思議でなりません。」
深い青のインクを詰めた万年筆で、手紙を描く。つまらないことばかり書いた、日記のような手紙。渡す相手はもういない。全部独り言だ。


 去年の夏のことだった。友人が海で亡くなった。遺書のような、短い別れの手紙と財布が入った鞄が、波の届かないところに置かれていた。亡くなって1週間経った日、連絡がとれないので家を訪ねると、やつれた彼女の母親が出てきた。自殺だったことと、その前の計画的な行動を聞かされた。
 母親によれば、死ぬ準備をできる限りしてから亡くなったとのことだった。半年ほど前から断捨離だとか言って服やら何やら売ったり捨てたりしていたという。クローゼットを開けてみると、ほとんど空だったらしい。それから契約しているものは、ほとんど解約されていた。まず仕事を辞めていた。聞けば2ヶ月前には既に退職していたという。それにも気付かされないよう、彼女は毎日どこかへ出かけていた。携帯電話だけが解約されずに残っていたが、「契約者の死亡による解約」の手続きの仕方が丁寧に書かれ、遺書の中にいっしょに入っていたという。
 SNSのアカウントが全て消えていたのは私も確認していて、連絡も取れないのでここへ来たのだった。日時を聞く限り、彼女は死ぬ間際、海に入る直前にそれをしていた。長い付き合いで、いろんなことを話したが、それ程冷静に死んでいったことに驚いた。実行するまで誰にも勘付かれなかったのだ。家族にも、私にも。


「あの子の携帯、まだ解約していないんだけど、何か分からない?」
そうして差し出されたスマートフォンを見てみたが、初期化されていて何も分からなかった。もしかしたら、バックアップは残っていたかもしれない。でも、彼女がここまで真っさらにしようとしているのに、あれこれ詮索するのは酷いことだと思った。
「初期化されているので、何も分かりません。料金はかかり続けるし、早く解約した方がいいと思います。」


「親友と何時間も通話してて」「親友とごはん行ったんだけど」
私にとっては友人でもない、同僚だとか知人だとかそのくらいの人たちが口にする「親友」という単語が、いつもひっかかっていた。何を以て親友なのだろう? 
 小学生の確認と縛りのような「私たち、親友だよね」とは違う。大人が話す親友。私には親友と呼ぶ人はいない。親友と呼べる関係性や、それを疑わない心が羨ましかった。相手はもしかしたら、悪口を言ったり同じ男を好きかもしれない。他にもっと素で話せる友達がいるかもしれない。
私には親友がいなかったけれど、友人が亡くなったとき、親友だったのかと気付いた。少なくとも私にとっては親友だった。
 この1年、死を理解して彼女のことを考えるほど、私は死に取り憑かれ何も手につかなかった。死にたいと思い、何度も彼女の計画の真似をした。周りに迷惑と心配をかけるばかりで、私はまだ生きている。


 レジの横で熱帯魚の泳ぐ、古い喫茶店。他人の家の匂いがする。テレビでは野球をやっていた。それを店主が眺めていて、ぶつぶつ文句を垂れている。この街には、古いものしかない。
 彼女の死ぬ前の気持ちが知りたくて、私はストーカーのようにSNSを調べあげた。フォロワー0のツイッターのアカウント。それは彼女の本当の遺書だった。
 死ぬ間際、訪れた場所や思いが読めた。死ぬ1週間前に作られたアカウントだった。見つけてほしいと言わんばかりに。それを見つけることは彼女の家族にはできないことで、私以外の誰にも見られないと思った。親友にしか分からない。でも他にも、同じように思っている人がいるかもしれない。親友の親友が存在すると思うと、嫉妬で殺したくなった。いるかも分からない人のことを想像しては泣いた。
「貴方はコーヒーを頼んだようですが、私はクリームソーダにします。」
茎まで赤いさくらんぼがのったクリームソーダが、幸せみたいに見えた。気分には合わなかった。いるかも分からない他人に嫉妬する私には、全てが疑わしい。だけれど全てを独占して信じたかった。
 少し散歩をしよう。ちょっと歩いただけで、雨がぽつぽつ降ってきた。そのうち雷まで鳴り出したので、宿まで走った。彼女もずぶ濡れで泊まりたくもない宿まで走れば、この惨めな気持ちが分かるにのに。彼女はもう、死んでいる。


 明日の天気を調べてから、今日も手紙を描く。
「私はもう、この旅を終わりにします。貴方はもう、私の掴めるところにはいないのでしょう。貴方は綺麗な石を集めるのが好きでしたね。河原のまんまるですべすべな石、砂浜に混ざったシーグラス、ミネラルマルシェで随分悩んで選んだ石。その石になりたかった。貴方を引きずって、いっしょに泡になれたでしょうから。
生活をします。毎日生活をします。時々は貴方のこと、貴方を探して海に浸かっては心が決まらず引き返したこと、それらを思い出すことでしょう。
思い出になって、人に話すこともあるかもしれません。そんな自分にがっかりしながらも、私は生活を続けます。」

 他に書きたいことがあるのに言葉にできず、眠れないまま、外は白んでいた。眠れず、誰もいない海辺を歩く。この頃書いていた手紙を、ばらばらと海へ落とした。波が捨てるなと戻してくる。それを拾っては遠くに投げた。そうしていると、体が半分、海に浸かっていた。引き返して服を絞ると、服にオーロラのように光る鱗がひっついていた。誰かに呼ばれた。名前のような、叫びのような声。

 鱗を握りしめて、私は呼ばれた方へ駆けた。彼女には私だけだったと信じて。

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