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「雨か涙か分からなくなるくらい大雨なシーン」についての問答

ありんごです

以前、家の中で雨の音を聞くのが好きな話を書いたけれど、同じ雨でも、「雨なのか涙なのかわからないくらい大雨」という映像作品におけるシーンについて書こうかと思う。

よく映画やドラマで、雨の中涙を流すけれど雨なのか涙なのかわからないくらい大雨、みたいなシーンがある。なぜか傘をさしていないのがドラマだなあと思う。

さっぱりした性格の友人唯はいつもドラマを見ながら「泣いてても傘はさすわ」と私に言う。毎回言うものだから、いつも笑ってしまう。

唯とはいつもこんな会話をする。その日見ていたドラマには、街中で傘を持っている様子のない主人公が一人大雨に降られてずぶ濡れの中泣きながら歩き続けるというシーンがあった。お決まりの「泣いてても傘はさすかな」という唯の台詞を受けて私は話し出す。

「でもほら、この人傘持ってないからずぶ濡れなんだよ」

「なんで持ってないんだろ、私は天気予報見るけどな」

「天気予報見ない人なんじゃない?」

「まじか、と思ったけどりんごもあんまり見ないよね。いつも傘持ってるけど」

「私は空の色と匂いで判断するよ。迷ったら持つ」

「野生か」

「おばあちゃんとおじいちゃんと私だけこんな感じ」

「りんごが傘持ってる日、天気予報で雨じゃなくても雨降るもんね」

「そう。すごいでしょ」

「なるほど、まありんごはそんな感じだからいいとして、あんな大雨なら天気予報絶対雨なのに、主人公はそもそも見ない人かね」

「空見てわかるタイプに見えないしね」

「現代にはそんな人なかなかいないと思う」

「さみしいな、それか荷物がかさばるのが嫌とか」

「でもその小さいバッグも身体も全部濡れちゃう可能性を考えて折り畳みくらい持つよね」

「たぶん小さいバッグでおしゃれ!みたいな気持ちじゃなくて、単に濡れてもいいやって思ってるんじゃない?」

「そういうことか、やっぱり無頓着なんだな」

「それか折り畳みを入れるスペースさえ嫌とか」

「無頓着じゃん結局」

「人それぞれだからね」

「そうなんだけど、毎回すごいなって思う」

「傘持ってなくて大雨の中ずぶ濡れになる人ってシチュエーションを見て、毎回この話するよね」

「そうなんだよね、妙に気になっちゃってリアルに考えちゃう」

「わかるよ、そんな大袈裟なって思ってたもん私も」

「そうなんだよ。そのへんの軒先に入るとかしないのかね」

「うーん、、軒先に入るの忘れちゃうくらいショッキングだったり、悲しかったりしたんじゃない」

「なるほどね、だいぶ大雨だけどね」

「それは私も思った、、」

「大雨降られる前に悲しいことがあったとしてさ、尚更早く帰りたくない?走っちゃうかも」

「雨に打たれながら走って帰るならわかるってこと?」

「そうそう」

「たしかに、、帰りたくもなくてとにかく気持ちを持て余しているとか?」

「持て余すほどの激しい感情ってことかー」

「そうだね、、」

「大雨もその激情のメタファーかな」

「あーそれそうかもね。だから主人公はこのシーンでは傘を持っていちゃいけないのかもね」

「リアリティには欠けても、このくらい悲しいです!!!みたいに表すには正解ってことかな」

「そうかもしれない。悲しいだけじゃなくて茫然自失な面もあるかも」

「なるほど。ドラマチックだね」

「そうだねえ」

激しい感情はたくさん経験したけれど、雨に打たれながら泣き続ける経験はない気がする。「ない気がする」と書いたのは、ないと思うからそう書いたけれど、あったとしても茫然自失で抜け落ちているかもしれないと思ったからだ。思い出したら書き起こしてみようと思うけれど。


ありんご






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