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日々の断片 vol.1
常に持ち歩いているノートがある。
先日、その1冊目が埋まった。
ノートをたくさん持ちたくなってしまう。スケジュール帳、やりたいことノート、日記、雑に書くノート。けれどどれも途中で飽きてしまって、最後まで書いたことがない。
ならばぜんぶまとめてしまおうと、なんでも書くノートを買ってきた。
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考えなきゃならないことが頭から溢れてしまうときにストレスを感じるので、定期的に書き出す時間をつくってあげることにした。思考をぐるぐると行ったり来たり、寄り道をしながら深く潜っていったり。お気に入りカフェのカウンターに座って、コーヒー飲みながらノートを開くのがお気に入り。
半年分の人生が挟まれて厚みの増したノートをパラパラとめくる。ふと目に留まったもの、その断片をここに残してみることにする。
「想像してるとおり、このままネガティブな未来があたりまえに来るって考えちゃうのって、もったいないよね。」
自分の手でなにかを「つくる」ことに興味がある。
今なにか学んでいたりするわけじゃないけど、ずっとつくることをしていたい。
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自分の場所を持ちたい、つくりたい、つくり続けたい。
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わたしの「つくる」は自己完結的な感じがする。
もっと「つくる」ことで社会の大きな流れの中に入り込んでみたい、その方法を知りたい。
私の知らないところで私の知らないことをたくさん学んで、私にできないことがたくさんできるようになっていて。次会ったときに、なにも変わっていない自分に気付かされるのが怖い。
建築の勉強したい。
→ 建築そのものじゃなくて、自分の手でつくる、ストーリーを乗せる、ってことをしたいんだろうな。
「つくる」はまだわからない。
けれど、生きたものに触れる体験ってたのしい!ってなった。
わたしは本当はなにをしたいのか?
まわりに触発されて、とかじゃなく、純粋にしたいこととは?
→(わたしなりの)旅?これに関しては自信を持てているから?
私はどうしたいのか?
・逃げたい
・責任から
・頭の中いっぱいの状態から
・何もできない自分から
・ちょっとでも苦しいって感じている自分から
・自分のことをもっと大切にしてあげたい、健やかに生きたい
・心からやりたいと思えることをして、自由に生きたい
何かをしている自分でいなきゃ、をやめるの大変だけどやってみる。
「逃げること」を自分の中で正当化したい気持ちがまだまだ強いけれど、それをそのまんま認めてあげたい。
ㅤ「別れは関係性の変化」
“大勢のなかのひとり”になる恐怖とずっと戦っている。埋もれて死んでしまいたくない。なにかのスタッフでも、お気に入りのお店のお客さんとしてでも。〇〇のうちのひとり、としてまとめられるのは仕方ないし当たり前だけれど、誰かにとってのちょっと特別なひとりになりたい、と思ってしまう。認められたい。自分のことをもっと愛してあげたい、にもつながるのかな。そうすることができたら、たとえ大勢のなかのひとりであったとしても、大丈夫なのかもしれない。
(友人)は自分の手でなにかをつくる、を生活の中ですごく自然にやっている。羨ましいよりもおもしろいな、すごいな、が強かった。すごく尊敬もするし、クリエイティブな部分に惹かれる。
→ そう、本来自然なことのはずなのに。わたしはそれを“不自然に”やろうとしている?それともすでに自然にやっていることに気づいていないだけ?
好きな人たちに囲まれて、好きなことをして生きたい。
「今を生きる」
(友人)にぐさっと来ること言われて、それが正解な気がしちゃうけど、「“うるせー”でいいんよ」だそう。そうだよね。
自分のことを話すとき「大学生で、前に休学もしてて、単位足りなくてまだ卒業しなくて…」といつもへらへらしちゃうのは、その私を「許されようと」しているから?
社会的には何してんだ、と思われるけど、こんなやつだから仕方ないか、まあええんやない?と思われようとしてる感じ。自分で深刻なことだと思いたくない。(深刻だと思わされている現状がある。親と話したときなど)
「逃げられない」ことがこわい。やらなきゃならないことに追われている状態がしんどい。
逃げること自体はできる。だから旅をしているときすごく楽だったけれど、帰ってきて現実を見てしんどくなってる。逃げても何かしらをやめてみても、やることってまた生まれてくるものだから、逃げる道を探すよりも、やることや自分の気持ちとうまく向き合っていく方法を探っていきたいな。
大学をたとえ辞めたとしても、また学びたい!ってときにできるんだ、ってルートを自分の中でいくつか見つけとくと、安心して辞められそうかも。
「聞いてるかんじ、あんま頑張りたくないんじゃない?」
すこやかな暮らしがしたい、生きてるーって感じたい。
わたしのことを思ってくれる、見てくれる、気にかけてくれる、大事に思ってくれる人がいなくなるのがこわい。見捨てられたくない。
「大学、向いてないのかもね。」
「社会人になったらなかなか時間ないから、大学生のうちに遊んどいたほうがいいよ」が好きじゃないのかも。時間がなく楽しいと思えること(=遊び?)のできない社会人像は、自分の生きたい将来とちがうから、それを受け入れたくない。(自分はそうじゃない社会を生きるんだ、と思いたい。)
“はたらく”をしたい。
・社会にはたらきかける。何かしらの波をつくる、みたいな
・自分主体で「うごく」ってところにフォーカスしてる
・自分の気持ちの持ち方、ありよう
・生きたい未来に向かってやりたいこと(そのときに気持ちの向かう先にあったこと)をしている状態
「旅するように生きる」こと
わたしの旅スタイルは「暮らす(生きる)ように旅する」、いつも大事にしている。けどこれも結局は旅先での日常に入り込む、という非日常を楽しんでいるだけなのではないか。その生活が続くとしたら、それはいずれ日常になって、楽しいと感じなくなるのではないか、と怖い。だから、外からの刺激や変化を求め続けるのとはちがう方法で、でも旅をするわくわく感を持って暮らしていけたらいいなと思う。
わたしがミスすること自体は怖いと思っていなくて、そのあと怒られたり相手をイライラさせたり、その負のエネルギーがわたしまで伝わってきたりすることが怖いんだとわかった。
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負のエネルギーを受け取りたくない、と思う。たとえ自分に向けられたものでないにしても。
22歳の目標は「ちゃんとせずにゆるく今を生きる」みたいなことになりそう。
休学してゲストハウスのヘルパーしながら過ごすぞ!と意気込んでいる一方で、そこに焦りや不安も感じていたけれど、これにこだわらなくてもいいんだ、自分の言っていることや行動に一貫性がなくたって(別に誰にも迷惑かけてないし)いいんだ、と思えたことが大きな収穫だな、という気がする。
その時々で気持ちの向いていることや不安なことはちがうけれど、悔しいとか悲しいとか怒りとか、そういった他者への直接的なマイナスの感情をわたしはちゃんと感じられるんだ、と思った。
自責思考はやっぱりなくならないけれど、自分以外の“なにか”のせいにしてみることを、いまは少しずつ身につけている時期なのかもしれない。
次のノートに選んだのはピンク。
この2冊目にはどんな日々を挟んでいくのか、楽しみ。
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