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“しんどさ”にもがくのをやめてみる

しんどい。
(書き始めからこんな調子でごめんね)

思い当たる理由はなんとなくある。この3日くらいはそれに心を振り回されながら過ごしてきた。
よく考えればここ1,2ヶ月ほどメンタルは絶好調ではなかった気がする。何をするにも無気力で、楽しくないわけじゃないけれど、全力で楽しめているかといえば答えはNoで。

そんな日々を過ごしてきたからと、どんよりとした梅雨の気候も相まって、こんなふうにやられてしまったのかもしれない。


自分で「しんどいんだ、苦しいんだ」って認めてあげた途端、楽になる気はしている。
いまも「しんどいです。おやすみします」って周りに伝えることはできているけれど、心の中で「本当はみんなが思ってるほどしんどくないのに、しんどいふりしてるだけなんじゃないかな、本当は大してしんどくないくせに」って思ってる部分もある。

そういう意味では、いまの自分を「そのままでいいんだよって認めてあげることは、本当はできていないのかもしれない。


スマホのメモにたくさん思考をなぞって、書いて、頭をぐるぐるさせて、余計にこんな自分ダメだ、となって、落ち込んで、自分に苛立って。
しんどい、自己嫌悪、マイナス思考、考えれば考えるほど深みにはまっていく、というときにこんなnoteを見つけた。


その中の一節。

だってわたし、がんばろうとしてるもん。それでもがんばれないのは、きっと何かが悪いのだ。そうして見つめるうちに、がんばれない日は、こんな「せい」があるとわかってきたのだ。


心にすとん、と。
そっか、私がんばろうとしてたんだ。
できないことも、捉え方も、全部自分のせいにして余計に苦しいほうにいっちゃってたけど、そんなことなかったんだ。
やることを抱え込み過ぎちゃって、できなくて、それを自分のせいにしてたけど、それだってがんばろうとしてるからだもんね。

なんだかちょっとだけ心が軽くなった気がする。



私のことをなにも知らない誰かにひたすらうんうんって話を聞いてほしいって思う。自分の求めている答えだけをくれたらなぁって思っていた。
本当はそんな人いないよなってわかってる。(それは自分の心の中にしかなくて、結局は自分に向き合い続けるしかないんだろうなともわかってる。)
でもやっぱり誰かに聞いてほしいとも思う。

行き場のない思考の波がnoteという形になって、この世に放たれる、誰かが拾ってくれるかもしれない、その事実だけで心が救われる気がする。

(余談だけど、まゆこは思考の過程が全部そのままアウトプットとして流れ出てくるよね、と先日言われたのを思い出した。よく見てるなぁと思ったんだった。)


noteを公開することに対しても、「文章書いて投稿できるくらいなら元気じゃん」とか「そんなことしてるならやることこなせよ」なんて思われるかもしれない、って怖さはある。
けれど、今の私にはこれを書くことだって心を回復させるための立派なやることだし、自由にさせてよって思うので載せてみます。

(とは言いつつも、こうやって言い訳できるための言葉を置いておかなきゃ非難されそうで不安なんだよね、わかる。こうやって心の声に耳を傾けてあげられてえらい!!!)


心がなんだかすっきりした。
深夜のコンビニにアイス買いに行って寝よっかな。
読んでくれてありがとうございます🕊️

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