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サービス・ドミナント・ロジックから見えてくる「なめらかな社会」

今回のトライバルメディアハウスの社内勉強会、TPAの課題は「サービス・ドミナント・ロジック」である。

短い論文を2本読んでみたのだが、正直な話、難解と言わざるをえない。

なので今回のnoteは、「サービス・ドミナント・ロジック」(以下S-Dロジック)という概念についてのかなり独断と偏見を伴った私の「解釈」、である。

前提となる論文は以下の2本だ。

製造業のサービス化(藤川佳則)

文脈視点による価値共創経営(藤川佳則、阿久津聡、小野譲司)

G-DロジックとS-Dロジックという2つの世界観

S-Dロジックは、「価値づくり」に関する一つの世界観(支配的論理)である(Vargo and Lusch, 2004)
:【文脈視点による価値共創経営】より

論文冒頭に書かれているとおり、今回学ぶS-Dロジックは「世界観」である。

このS-Dロジックという世界観を説明するにあたり、提唱者たちはこの新しい概念を対比させる対象として「グッズ・ドミナント・ロジック」(以下G-Dロジック)というものを登場させている。
※これは「携帯電話」というものを説明するために、それまでの電話に「固定電話」という名前が付けられたことに近いと感じる

旧来の「価値づくり」に関する当たり前である「G-Dロジック」と新たに提示された「S-Dロジック」の違いは大きく以下の3点であるとされる。

G-DロジックとS-Dロジックの世界観の違いについては、大きく次の三点を上げることができる。(1)サービス観の違い、(2)価値概念の違い、(3)顧客像の違い、である。
:【製造業のサービス化】より

ざっくり書くとこんな感じだろうか。

(1)サービス観 
G-Dロジック:モノとモノ以外(サービス) 
S-Dロジック:全ての経済活動はサービス
(2)価値概念
G-Dロジック:交換価値を重視
S-Dロジック:使用価値を重視
(3)顧客像   
G-Dロジック:消費者
S-Dロジック:価値共創者



「価値」の範囲を劇的に拡大したS-Dロジック

さて、ここからがオレオレ解釈になる。

S-Dロジックについて考える際、G-Dロジックとの比較は必ずしも重要ではないかもしれない。

携帯電話を「全人類を24時間どこでも巨大なネットワークの端末化する」存在だと考える時に固定電話と比較する必要が別にないのと同様である。

S-Dロジックの最大の発見は公理の一つとしてあげられている「価値は常に受益者によって独自にかつ現象学的に判断される」という点だと私は思う。(ちなみに、S-Dロジックの公理には以下の4つがある)

【S-Dロジックの公理】
公理1:サービスが交換の基本的基盤である
公理2:顧客は常に価値の共創者である
公理3:すべての経済的および社会的アクターが資源統合者である
公理4:価値は常に受益者によって独自にかつ現象学的に判断される

S-Dロジックは、この公理4によって完全に利用者を中心としたUser Centricな価値観になっている。

にも関わらず、このロジックがビジネスの文脈で発見されたということが、どうにも説明をややこしいものにしている気がする。

私がS-Dロジックに関して書かれていることを読んでイメージしたのは「エースストライカーのゴールしか得点として認められないルールが付加されたサッカー」である。

このスポーツのルールや勝利のための戦術について、エースストライカーではないプレイヤーの立場で一生懸命説明するとS-Dロジックになる。



徹底的にUser CentricなS-Dロジック

S-Dロジックを「私」を中心に書き換えるとどうなるだろうか。

■私が関わる全てのことについての価値判断は私自身が行う
■全ての他人は、私にとって価値があることを提案してくれる可能性がある(それは提案してくれる誰かが意識していない可能性もある)
■私自身も全ての他人に対して価値を提案できる可能性がある
(それは私が意識していない可能性もあるし、あくまでも「提案」にすぎないことを忘れてはいけない)
■私が提案されたり提案したりする、そして実際に生み出されたりもする価値の形態には、無限のバリエーションがある(モノかもしれないし、そうでないかもしれない)

交換価値ではなく使用価値こそが価値の発揮であり、その価値は受益者(G-Dロジックにおける消費者)によって判断される。

この発見をベースに「価値」にまつわる諸々の要素を必要最小限のアトムのレベルに分解したのがS-Dロジックと言えるのではないか。

それは最終的に価値が発揮される「使用」の局面1つ1つにまで価値を細分化することであり、その価値を生み出すまでに関わる全ての人達を企業や組織の枠組みを超えた1人1人の「アクター」として定義することであり、価値に関わる全ての必要なものごとを「サービス」と定義する、という具合だ。



S-Dロジックと技術の発展が「なめらかな社会」を可能にする

あらためてG-Dロジックとの比較に立ち戻るなら、S-Dロジックは「価値づくり」において全プロセスの解像度を引き上げる試みと言える気がする。

しかしS-Dロジックが単に解像度を引き上げるだけであるなら、どうして長きにわたって人類はG-Dロジックの粗い解像度で「価値」というきわめて大事なものを扱ってきてしまったのだろうか。

それは、今まで「交換」という局面でしか価値を計測できなかったからではないか。

ここ数十年の情報技術の飛躍的な発展が「交換」以外の、特に価値の発生する局面を捉えられるようになったことにより、使用価値と交換価値をより密接にリンクさせることが可能となった。

ではビジネスという観点においては、具体的にそれはどのような形で実現することになるのか。

例えば、私の所属するトライバルメディアハウスが昨年末に出した、以下のプレスリリースなどが一例となるだろうか。

ソーシャルメディアやグループウェアの普及と発展により、すでに企業⇔顧客、社員⇔社員、社員⇔顧客、顧客⇔顧客間でさまざまな種類かつ膨大な価値の移転が行われています。しかし、現状の仕組みでは、個人が創造・提供した価値がすべて記録されず、かつその価値によって蓄積した信頼や共感が個人の資本(=私本(※1))として蓄積されることもありません。
~(中略)~社員や顧客に関わらず、個人が創造・提供したすべての価値を記録し、そして価値の移転(価値の流通)をなめらかにすることで、来たる「個人が主役の社会」を創造する一翼を担いたいと考えています。

上記のように”企業⇔顧客、社員⇔社員、社員⇔顧客、顧客⇔顧客間でさまざまな種類かつ膨大な価値の移転が行われて”いるのは自明であるが、今までそれらの価値の測定は例えば「顧客が企業から商品を購入する」(企業⇔顧客)、「社員が企業から毎月決まった給料をもらう」(企業⇔社員)といった価値交換の局面に限定されていた。

しかしS-Dロジックに基づくならば、これらの膨大な価値の移転を計測してそこにより適合的な交換価値の導入を行い得る可能性が見えてくる。

いきなり交換価値にフォーカスするのではなく、使用価値の存在を前提とした上で、どのようにそれを交換価値と組み合わせるかを考えていく。

このような思考と試行の繰り返しの先に、今までよりなめらかな社会がきっとある。


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