すずめの戸締まり感想文~ジブリへの鎮魂歌~

※この記事には、すずめの戸締まりのネタバレがふんだんに盛り込まれています。ご注意ください。

1,はじめに

 どうもこんにちは、有間と申します。東京の片隅で細々と物書きをやっている者です。
 冬の足音が近づいてきていますね。皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。私は確定申告の足音に怯えています。やめてくれないか、金がない事を思い知らせるのは!
 しかし、四季そのものは嫌いではありません。雪国生まれなので、雪景色にも郷愁をそそられます。映像作品においても、美しい映像で描かれる日本の四季、いいですよねぇ~。

 というわけで新海誠監督の話です。
 すずめの戸締まり、皆さんは見に行きましたでしょうか? そうですね、見に行った人しかこんな記事読まないですよね。私は昨日(2022/11/26)見に行きました。本当は先週見に行く予定だったのですが、先週末はほら、ね。こちらポケモンスカーレット、図鑑埋めに協力してくれる方募集してます。
 光属性の新海誠だった今作、非常に面白かったですね。いくつもの角度で切り取る事ができる物語はそれだけで優秀な物語ですが、すずめの戸締まりは非常に深みのあるお話でした。思わずこうして記事を書くほどに。
 一切オブラートに包むことなく、3.11を語った事。これ自体が、あの大災害からの歳月を感じさせます。来年で十二年が経ちます。忘れるな、という強いメッセージ性を、すずめの戸締まりからは感じました。間違いなく、鎮魂の物語でした。新海誠監督は毎回大災害をためらうことなく描きますが、その決意の強さを今回は感じました。

 とはいえそんな語り口はもう既に一億回考察されていてぶっちゃけありきたり、つまらないと思いますので、私は全くの別口から、すずめの戸締まりという物語を解体させていただこうと思います。一人の深読みオタクによる妄想ではありますが、一時、あなたの時間をいただけたら幸いです。今回はほぼほぼただの感想文で文字オンリーの雑記事となっておりますので、肩の力を抜いてお楽しみください。

 今回の主題は、『すずめの戸締まりはジブリ映画に対する鎮魂歌である』です。

2,作中登場するジブリ

 今作すずめの戸締まりにおいて、私がまず一番最初に抱いた感想は『この男ハウルみてえだな』でした。そうです、宗像草太という男のツラの話です。
 黒髪ロング、白い上着、肩幅、スタイル。一目見た瞬間、ハウルの動く城が強烈な既視感として襲い掛かってきました。性格はハウルよりだいぶ社交性があり、やらかした女の子に対して優しく出来る男前ですが、クソボケな感じはハウル味を感じました。私はハウルが好きです。
 そういうわけで、多分見始めた時に私の頭の中にはジブリ映画がインストールされていたのです。だからこそなんとか気付けたのですが、今回のすずめの戸締まりは、明らかにジブリ映画を意識して作られている部分があります。というか、明確にジブリ映画に言及したシーンが二回あります。

 一回目、ダイジンがSNSで話題になり始めたシーン。
 ダイジンについて言及しているSNSのコメントの中に、『リアル耳すま』という文字列があったのです。
 言うまでもなくこれは『耳をすませば』の事でしょう。
 二回目、芹澤の車ですずめの実家に向かっていくシーンで流れる曲が『ルージュの伝言』で、芹澤は『旅立ちと言ったらこれでしょう』と発言してます。ルージュの伝言は『魔女の宅急便』の主題歌であり、主人公のキキが旅立つ際に流れてくる曲です。
 この二回は完璧にジブリに対して言及しており、今回の新海誠監督がどういう形であれ、ジブリ映画を意識して今回の映画を作った事は間違いないでしょう。

 この二回から分かるのは、新海誠監督の中ではジブリ映画は非常に強く人々の日常に根付いている象徴であるという事でしょう。猫と言えば? 耳をすませばが、旅立ちといえば? 魔女の宅急便を連想するのが、新海誠監督の世界観なわけです。
 ここまででもある程度言える事はあるのですが、更に深読みしていってみましょう。この先は只の妄想であり、こうとも言えるよね! みたいな話になります。なのであくまで話半分で聞いてください。そしてその上で、面白い見方だね! と言ってもらえると私は大変嬉しいです。

3,想像の翼を広げてみよう

 さて、最初の耳をすませば発言から想像を始めてみましょう。ここからはいわゆる連想ゲームのようなものです。
 耳をすませばにおける白猫というと、いわゆるムタが出てきます。バロンと並んで、耳をすませばから猫の恩返しにも登場するキャラクターです。
 作中のダイジンはいわゆる神であり、超常的存在であり、人と共に歩むものです。これはどちらかと言うと猫の恩返し的な話ですね。実は猫の恩返しにも、いわゆる常世の概念が出てきます。それは猫の国です。
 猫の恩返しに出てくる白猫はもう一頭、主人公のかつての飼い猫だったユキちゃんがいます。現実で亡くなって猫の国で暮らしているという設定で、最初から最後まで主人公を導いて、助けてくれます。
 すずめの戸締まりも猫の恩返しも、常世に行って、帰ってくる話だと言えます。これは古くは神話に語られる物語の類型なので、流石にこじつけな感じがありますが、信仰を失い力なく痩せるダイジンは、人の世で忘れられた=死んだ猫達が暮らす猫の国猫王のしょぼくれた姿をどこか感じさせます。人口が多い東京のサダイジンが大きく力を保っているのに対し、ダイジンが小さくやせ細っているのは、最早忘れられた者としての属性をダイジンが持つ事の証でしょう。
 忘れられていく神の話、というともののけ姫があります。あれは神殺しの話ではありますが、アシタカが受けた呪いすずめの戸締まりで出てくるミミズは、どこか似ています。どちらも呪いを帯びた神の類であるからでしょうか。ラストシーン、ミミズが要石に封じられ、崩れ落ちた後に草花が咲く様は、もののけ姫のラストを思わせます。厳密に言えば別のものを描く描写ではありますが、どちらも死の後の再生を描いているのは間違いないでしょう。
 ところで、ジブリにはもっと直接的に、神の国に行って帰ってくる物語がありますね。おなじみ千と千尋の神隠しです。一度神に大切なものを奪われた人間が神と共に歩み、大切なものを返してもらって、帰ってくる。ストーリーラインの構造としては千と千尋が一番近いでしょう。
 ただ何度も言いますが、これは古くは神話に語られている、いわば人類が生み出す物語のオリジンに近い構造なので、これは必ずしもジブリを意識しているとは言えないかもしれません。
 まあそんな事を言い始めたら、キスで王子様を眠りから覚ます話ハウルの動く城でもあるので、無限に話が広がっていきますね。

 これは、優秀な物語の類型というのはあらゆる時代、あらゆる創作者が使ってきた、という話でもあります。新海誠監督は今回、意識的にそういった物語の構造をコントロールしているというのは、妄想ではなく事実であると思います。その類型選びの一環として、今回は数多くのジブリ映画を題材にしているのでしょう。
 新海誠監督は、元々そういった類型の利用が非常に上手な監督でした。過去を見つめる作家性の方です。その中で、今回のすずめの戸締まりの組み立ては、間違いなく過去最高傑作。非常に美しい物語でした。

4,鎮魂の物語

 今回、すずめの戸締まりは過去を思い返し、鎮魂する物語でした。
 悲しい過去を思い返すのは大変な事で、つらくて、気合いをいれないと中々やれません。つらい事を忘却するのは人間の防衛機能の一つでもあり、自然な事でもあるのでしょう。
 しかしそんな過去を時には思い返し、失われたものに涙を流し、未来へ歩いていくための力に変える。あれは、そんな話でした。
 新海誠監督にとって、ジブリはそんな思い返す過去の一つであるかのように、今回の物語は描かれています。
 人々の日常の象徴としてジブリを使っている、と前述しましたが、作中においてそのラインに置かれているのは、いわゆる過去の名曲達でした。いいものは時代を超えて語り継がれていく、という話でもあるのでしょう。
 ただ、作中全体として、すずめの戸締まりは明らかに『思い返す事の大切さ』『そこから我々は未来へ進んでいく』という話をテーマとして持っています。古いものを糧にして、未来を作っていく。その中において、新海誠監督にとって、ジブリは既に『糧にすべき古いもの』という位置づけであるように思います。
 時代を作ったジブリに対する感謝と尊敬と、同時にそれを糧にして進んでいくぞという挑戦状。お前達は既に終わったものである、という喧嘩を売ってるとも捉えられるかもしれません。アニメ映画界の新時代を作る、という意気込みにも思えます。
 長編アニメーション映画という舞台で戦う以上は、絶対に比較対象とされてしまう過去の怪物、ジブリ。
 すずめの戸締まりは、そんなジブリに対する新海誠監督からのラブレターであり、挑戦状であり、鎮魂歌であるように、私は思いました。
 その覚悟に、私は敬意と感謝を表します。最高の映画でした。


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