もうその質問やめません?って話。
私には苦手な質問がいくつかある。
そのうちのひとつが
「こども好き?」
である。
このフレーズはかなり擦られたものだ。その歴史は古代にまで遡る(というのは嘘である)。
とにかく、読者も一度は聞いたり言ったりしたことのあるフレーズではないだろうか。
だが、私としてはもうこの質問やめませんかって言いたい。
今回はどうしてこの質問に辟易しているのか、なんとなく心のうちをさらけだしてみる。
前提として、私は未婚で子なしの身なので、この質問の「こども」は自分の子ではなく、子全般を指しているものとして話したい。
この質問に辟易している理由は大きく2つ。
1つ目は、単に大人としてカッコ悪いから。
「こども」という言葉を調べると、大人の対義語、つまり大人でない人間、大人になる前の人間のことを指すらしい。
なるほど確かに、私たちはみんな「こども」だった。
思い返せば、大人になるまで、親や祖父母、保育園や学校の先生などたくさんの大人に守られ育てられてきたことに気づく。
そう考えると「こども」って私たちみんながたどってきた過去なので、それを好き嫌いで論じるのは、私たち自身の過去を否定することに繋がりかねない。そんなの大人としてカッコ悪いねと思うのだ。
こどもにとって大人は未来で、
大人にとってこどもは過去。
好きとか嫌いとかじゃなくて
同じ人間なんだよな、俺らって。って話。
2つ目は、この質問に別の意図が透けて見えるから。
何が言いたいかというと、この質問の中にはしれっと「こどもを育てること」つまり育児も含まれているんじゃないですかって話。
「こども」が好きであることと、「こどもを育てること」が好きであることは似ているようで全く違う。それなのにこの軽い言葉の中に共存しているように思うのだ。
これが悪い影響として出ている例を挙げるなら、
結婚前は「こども好き」と言っていたパートナーが育児に参加してくれないだとか、
「こども好き」で保育士になったのに虐待事件を起こしてしまうとか。
そういう話を聞くと「こどもは好きでも、育児は好きじゃなかったんだろうな」と思えてくる。
動物が好きでもペットとして迎えない人がいるのは、経済的な理由や環境的な理由もあるとは思うが、その中に「飼育が好きというわけではなく、写真や動画を眺めるだけで充分」というのもあるはずだ。
だから、「こども好き?」に対して「YES」だからと言って育児が好きということにはならないんじゃなかろうか。育児を好きになる可能性の話であれば、1ミリくらいはあるかもね。
それなのに巷ではパートナー選びの際に「こども好き」アピールしたり、「こども好き?」って探りを入れたりする人がいる。
育児っていうのは、ひとりの人間がその生活を自走できるまで育てることで、そんな責任の重い役割をそんな軽々しい言葉で確認した気になってる人を見ると正直危なっかしい。
「じゃあどう確認すれば良いわけ?!」っていう方のために代替案を挙げるとすれば、
「育児やってみる気ある?」じゃないすか。(ド直球で草)
けどそのくらい「好きってだけでなんとかなるもんじゃないんだぞ。」っていう真剣さは必要だと思います。悲しいニュースを増やさないためにも。
ってなわけで、「こども好き?」って質問はもうやめませんかというたもちゃんの提言でした。
他にも「もうこの質問やめたいよね〜」などコメントありましたらぜひ。
いつもと違って真面目な話になっちゃってごめんね、明日からまた気の抜ける話するね(小声)
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