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効率化と多様性を田植えで考察してみた

農ある暮らしをしながら
ポーズの完成にこだわらない
【在り方としてのヨガ】を発信しています。
ヨガ講師が田んぼ仕事に触発された
あれこれを今日はお話しします。

今年の田植えがひとまず終了しましたー。
これからしばらくの間
草との格闘が始まります。

その前に!
今回の田植えで氣づいたことをまとめておきたいなと思いました。
題して

『苗の学校』

水稲の苗を育てている間
ワタシはまるで学校の先生のように
苗たちそれぞれの生育具合を眺めていました。

そんな視点を持ち続けたまま
田植え機で田植えをして気づいたことがあります。

それは

田植え機を使う時

①苗が苗箱の中に均一に存在していないとうまくいきません。
まばらになっていたら
機械がその空白の箇所をそのまま植えようとするからです。

②苗が同じ長さでないとうまくいきません。
長さがまちまちだと
短いものは水没してしまう可能性が大きくなります。

田植え機で植えた後
うまく植えられてなかったところを補植しながら

ワタシが苗をどのように育ててきたか

を思い返していました。

お米づくりは今年で5回め
山形では4回めとなります。

まずは、苗を育てるところから始まります。

種となる籾がちゃん発芽しやすい準備をします。
この準備だけでも何行程かあるのですが
ここでは割愛します。

準備が終わった種籾を苗箱に蒔いていきます。
この時大切なのは
種籾が重ならないように一粒づつ均一に平らに、が理想です。

その上にうっすらとお布団をかけるように土を被せます。
これらは種籾の芽や根がお互いを邪魔することなく健やかに成長するための環境を作るためです。

ここから温度管理をしながら
発芽するのを待ちます。
この間もちゃんと芽が出るのかなーとビクビクしています。

発芽したらした今度は
田植えの時期までにちゃんと育つのか(丈が長くなるのか)
気にして日の光や水の管理をします。

そして今度は田植えが終わったら
ちゃんと活着するかどうか(田んぼに根付くこと)が心配になります。
(今、まさにここ)

また
ここまでは苗の条件ですが、
もう一方の条件として
田んぼが限りなく平になっていないとうまくいきません。

大体は凸凹なので機械(田植え機)で設定しているそのままだと
浅く植えたり逆に深く植えたりとなってしまいます。

こんな感じで考えていたら
手植えをするということは
田んぼの凸凹をよく観察しながら苗の長さを選んで行うので

苗の個性と土壌の組み合わせ

を自然とやっていたんだなぁと振り返りました。

いま風にいえば、多様性を理解して実現させているともいえるかもしれません。

逆をいえば
機械化(効率化)することと多様性は共存しづらい

ということです。

植える段階で多少ばらけていても
ちゃんと対応させてあげれば最終的には
ある程度似通った成長度合いになりますが
始まりの段階でうまく対応してあげないと
そのまま空白になったり埋没してしまったりするのです。

当たり前じゃないか
とおっしゃるかもしれませんが

これって人でも同じようなことじゃないかと思いました。

教育の場では効率化・均一化のようなことが
ずっとなされてきていませんか?

目立たないようにと訓練指導されていませんでしたか?

大体、生き物に対して均一にって
おかしな話ですよね。

でもそんな学校にどっぷりと浸かって
大人になったほとんどの人たちが

声高に
多様性を大切にする社会をつくる
と言っても
何も変わらないのではないかと思います。

まずは
みんなと同じでなくていいと認められる土台というか
この田植えでいえば
補植を前提とした余裕がなければ
無理なんじゃないかなと思ったのです。

多様化とは
言い換えると

個として尊重される世界
です。

これは子供達だけの話ではなく
かつて効率化が発展をもたらしてきた経験を得た
多くの大人たちにも必要なことなのではないかと思うのです。

個として尊重される世界に住むためには
個として生きようとする
ことが大前提になります。

ワタシたち(夫と二人)が田植え機を導入したのは
小さい(6畝)とはいえ
二人で田植えを行う時間の確保がちょっと難しくなってきたからでした。

それでも
機械で植えた後に二人で田んぼの中に入って一列一列確認していきます。

それは
ここに至るまでの段階で
できるだけムラなく育てたつもりでも
ムラができてしまっても当たり前だから
(技術不足なのもありますが)
そのムラを個性として置き換えれば
その個性を活かせるように苗を置いてあげるという余裕のようなものが
社会の中では必要なのではないかと思います。

多様性を均一的に認める・認めないではなく
社会の中には色々とムラがあって
そのムラが許容できるように

ムラがあるということ自体を知っている人たちが増えていけば

それが教育の現場で子供達に向けられる眼が
非効率的でも余裕をもった世界になっていくのではないかなと

田植えをしながら
改めて思ったのでした。


個として生きることことが難しいと感じている
かつては子供だった大人に向けて
ポーズの完成にこだわらない
【在り方としてのヨガ】を提供しています。
個として立つために必要な
カラダの使い方やココロの使い方を
その方それぞれの課題に最適なワークを
通して体得していただくメソッドです。

お問い合わせは
LINEでお待ちしています。

https://lin.ee/RiUmsUH


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