レーズンパンは精一杯の祖父の愛
いったい全体、何がどうして結婚したのだろうか。。。
と思うくらい、うちの祖父母は反りが合わない。
早くに母を亡くし、貧しくもあったが故に、幼いながら大家族の長女として強く指導的であらねばならなかった祖母と、一代で財を成した起業家の父とそれを支える淑やかな母の姿を見てきた一人息子の祖父とで大分価値観が違うのだろう。
祖母は祖父にやたらと干渉しすぎ、祖父は祖母への思いやりが足りなかった。
「ご飯ですよ」
と、階段下から祖母は祖父に声をかける。いつも我が家では祖母が家族みんなの健康を気遣いながら食事の支度をしてくれるのだ。
しばらくすると、祖父は黙って降りてくる。
家族4人で食卓を囲むものの、美味しいやら、身体に優しい味だやら、今日はどんな1日だったやら、ぺちゃくちゃ喋りながら食べる私や母とは違い、祖父は一言も発することはない。
黙って食べ、黙って片付け、しばらくお腹を休めるとゆっくりと二階へとまた上がっていく。
いつの日からか、母がその状況に耐えられなくなった。
やたらと大きな声で嘘くさいほどに料理への賛辞を祖母に伝えるようになった。
祖母は照れつつも嬉しそうだったが、私は少しばかり居心地が悪かった。
それはまるで祖父への当てつけのようだったから。
「美味しいね」
の一言さえあれば、いいのだろうが、どうも祖父はそれを言うのが苦手だ。
美味しいものは美味しい。普通なものは普通。まずいものはまずい。
思ったことに嘘をついてはならない。
それがどうやら、祖父が父親の背中から教わってきたことらしい。
まずいと文句を言うことはまずないが、美味しいと伝える祖父はなかなか現れなかった。周りが作っている「美味しいと言いながら食べるべき」という空気が尚のこと祖父を意固地にさせたんだろうとも思う。
ところが、ある日のことである。
滅多に体調を壊さない祖母が風邪をひいた一日があった。
連絡があったその日は私も母も早い時間には帰れない日だった。
それでも祖母にはゆっくり休んでいて欲しい。
一人、家に残っている祖父に「おばあちゃまはちゃんと寝かせておいてね。夜ご飯、なんでもいいから作っておいてくれると嬉しい」と伝言して電話を切った。
「どうかね、おじいちゃまやってくれるかね」
「どうだろうね、わからないね」
「もし何もなかったら、インスタントラーメンでも作ろう」
母と私はそんな会話をしながら家に帰った。
ドアを開けると、いい匂いがした。
何かを醤油で炒めたような匂いだ。多分ちょっと焦がしている。
食卓には、不恰好なキャベツの炒め物と、白米と、インスタントのお味噌汁が用意されていた。
お箸は、母のと祖母のが間違っていたが、引き出しを漁りながらどれだったかなと記憶を辿って準備してくれた姿を思うと、なんだかとても胸がざわざわした。
少し休んだ祖母も下に降りてきて、目を丸くした。
「あら!(ご飯が)できてる」
家族4人でいただきますをして、箸をつけた。
白米はやや柔らかめで、キャベツはやや芯が残っていたが、いい具合の味付けで炒められていて美味しかった。
「味付けがちょうどいいね」
「美味しいよ」
「キャベツは身体にいいよね」
そう伝えると、祖父はボソッと
「できてるタレがあったんだ」と言った。
「硬いところはとったはずなんだがな」「水の量は合わせたはずなんだがな」とぶつぶつ言いながらも、皆が口々に美味しいと言うと「案外、いけるもんだな」とだけ答えた。
残さず食べられたお皿を見て、祖父は一仕事終えた人の顔をしていた。
それからのことである。
祖父は少しずつ食卓でボソリと「これは美味いな」と言うようになったのだ。
祖母にはあまり聞こえていなかったりもするのだが、たまに聞こえると祖母は一瞬ぴたりと固まる。
美味しいね、と言って残さず食べてもらえて、きっと祖父自身が気持ちが良かったのだろう。
祖父のそのたった一言で食卓の温度が3℃くらい上がる。
調理の仕方や食材だけじゃない。
美味しいねと言って食べてくれる人の存在で、食卓は楽しくなるのだ。
今までは買い物にも無頓着だった祖父だが、最近では時折、祖母の好きなレーズンパンをわざわざ散歩途中で買ってきたりする。
「これはお前にだよ」とは言えず、「パン買ってきたぞ」とぶっきらぼうに机に置くだけなのだが。
でもそれは、祖父なりの精一杯の愛情表現なのだと思う。
祖母も長年の関係性から「ありがとう」とは言えずに、「あらそう」と言う。
でも、次の日の朝には必ずそのパンが食卓に並ぶ。
それが祖母なりの精一杯のありがとうのサインなのだと思う。
そうしてこんがり焼いたそのパンにたっぷりバターを塗って、頬張るのだ。
「美味しいね」と。