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否定的な認知の背後にある肯定的な意図をさぐる コラム7

自分一人だけで、ありのままの自分を守り切ることができれば、それに越したことはないのですが、実際には自分一人では限界があります。

それは「認知」という外から入ってくる情報を認識する思考の枠組みが誰しも偏ったものだからです。

たとえば、「がんばれ」という言葉です。これを「私のことを応援してくれている」と取るのか、「私がダメな存在だから頑張らないといけない」ととるのかは、状況にもよりますが、その人の認知次第なのです。

だからその出来ごとに対して、客観的に見ることができる人の存在は大切なのです。

認知が否定的であると、ありのままの自分を大切にすることはできません。むしろ、ありのままじゃだめだと責め始めます。責め始めると、ネガティブな思考サイクルに陥ってしばらくその状況を漂うことになります。

特に認知が否定的になりやすい人は、ネガティブな思考サイクルに陥ることが自分にとっての「普通」となっている場合もあります。そのサイクル脱して、ありのままの自分を認めるには「肯定的な意図」を探る必要があります。自分の認知が仮にネガティブに働いても、その中にある肯定的な側面を探るということです。

たとえば、上司にひどく注意されてしまった。ネガティブな認知であれば「あの人は私が嫌い」「私をクビにしようとしている」となります。そこに肯定的な意図を汲み取ると、「私には伸びしろがある」「私は必要とされている、期待されている」となります。どんな出来事にも何らかの肯定的な意図が含まれています。

悲しい出来事やショッキングな出来事に遭遇した場合はすぐには肯定的な意図を探ることはできないかもしれません。しかし、この思考も一つの癖です。肯定的な意図を探る練習を繰り返すことで、いつの間にか瞬時に思いつくようにもなれます。

ところが、肯定的な意図がなかなか分からないこと、または分かったとして、「そんな表面的なことでは受け入れられない」ようなとんでもない事態に出くわすこともあります。肯定的な意図が分からない、受け入れられない場合は無理に肯定的になる必要はありません。

それこそ、今は本当に大変なんだなと認めることです。すると、悲しんでいい、不安になっていい、心が揺れてもいい、人を責めてもいい・・・抑えていたいろいろな感情が出てきます。この感情と向き合うことも、ありのままの自分を大切にするためには重要で、そして不可避なプロセスです。どんな感情も自分にとって大切な感情なのです。

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