見出し画像

#013.タスクシュートと「意識」

おつかれさまです。「タスクシューター界のジェームズ・ボンド」ことありひとです。

前回問いをもことでアンテナが立つ、って話をしました。

そのなかで意識の話が出てきたので今日はそのあたり。

***

これまでの連載のなかで、「タスクシュートは〇〇を大切にしている/〇〇にフォーカスしているメソッドです」的な例えをいくつかしてきた。

「タスクシュートは区切りを大切にしている」「タスクシュートは実行にフォーカスしている」。

多分書いてないけど「タスクシュートは順番にフォーカスしている」っていう話もあって、どんだけ大切にしていることやフォーカスしていることが多いねんって感じですが、それだけこの時間管理術が色んな角度から掘り下げられるだけの深さをがあるメソッドであることを意味している。

さて、今回はその「タスクシュートは〇〇を大切にしている」構文に新しい文を追加する。

それが冒頭に頭出しした意識の話。「タスクシュートは意識を大切にしている」だ。

これが結構説明がむずかしい。

なんでかっていうと「意識に着目する」っていう話は一般的なタスク管理の文脈と一見矛盾するようにみえるから。

多くのタスク管理のビジネス書や習慣系の実用書だと「無意識」の力を借りましょうっていう主張が強い。

「人間の行動は90%が無意識によって行われているよ。だから、その無意識に刷り込ませ、あらゆることを自動でやれるようになることで自分の認知資源を節約し、効率よく重要なことに集中しよう」

そんなセオリーで語られることが多い。

実際、タスクシュートもこの考え方に反しているわけではない。

「今日やったことは明日もやる」という前提のもと「ルーチン」という機能を使うことで、毎日繰り返すことを自動でプランに登録し、「自分の中のロボットを育ててていく」というタスクシュート仕事術の考え方がある。

じゃあ「意識する」って何を?ってなるんだけど、レベル感としては結構メタ的な視点になる。「意識する」を「気づく」と言い換えてもいい。

タスクシュートを使っているといろんなことに気づく。

わかりやすいところで言えば「コレくらいで終わるだろうと見積もっていたタスクが、実は見積時間の1.5倍以上かかったことに気づく」とか「今日なんにもやってなかったなと思う日でも、実は生きるためにいろんなタスクに時間をつかっていることに気づく」とかとか。

タスクシュート協会理事の佐々木さん(@nokiba)は、よく「繰り返しのタスクをルーチンとして登録するけど、実は全く同じことを繰り返すことなんてない」ってことをおっしゃっている。

これもタスクシュートを使って、ルーチンに登録して、意識してみるから気づける。

さっきの無意識の話に紐付けると、例えば

「習慣化するためにルーチン化したタスクを忘れないようにアラーム設定していた。だけどいつの間にかリマインドされなくても、タスクシュートの開始ボタンを押して、そのタスクを実行して、終了ボタンを押すという一連の所作をなにも引っかかることなく、無意識にできるようになってた」

ということにログを見返したときに気づく。あ、このとき全然頭使わずやれてたな、みたいな。

無意識にできてたことに意識的になれる。そしたら今度はあえて「明日はこのルーチンをやるときもう一回、一つひとつの動作に意識を向けてみよう」とか「他に改善点はないか気にしながらやってみよう」とかも思える。

そして、意識の土台に乗せられるとどんどん自分のことをメタ的に、俯瞰的にみることができる。

これはマインドフルネス的にも重要なことだとよく言われていて、心の安寧や集中につながるのかなと思っている。

「実行」「区切り」「意識」。これらの要素を複合的に活かすことでタスクシュートは安らぎと集中というとんでもない贅沢をもたらしてくれる。

しかもユーザはただただタスクシュートという手段にぜんのっかりすればいい。「実行」「区切り」「意識」の要素を別にうまく使おうと思わなくても自然と使えるようにタスクシュートは設計されている。すごい。

なんだか意識の話から、タスクシュート推しの話になってしまった。今日はこのへんで。ありひとでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?