思い出の価値は【ユタカジン】
おつかれさまです。
この『ユタカジン』は「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマに、複数のタスクシューターが交代で時間との向き合い方、タスクシュートの使い方、ひいては人生観などを語っていくマガジン連載です。
月曜日はわたし、「タスクシュート認定トレーナー」、そして「タスクシューター界のジェームズ・ボンド」ことありひとが担当します。
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はじめに
みなさん、3連休はいかがお過ごしだったでしょうか。
会社員は人によってはお盆休みをくっつけることで夏休みを実現している方もいるかもしれません。
わたしはカレンダー通りの勤務なので明日から通常勤務なのですが、この三連休が非常に充実していたこともあり、久しぶりに休み明けの仕事に憂鬱さんを感じているところです。
今日はそんな3連休にあったひとつの出来事についてです。タスクシュートはほぼ関係ないのですが、「時間的豊かさ」に絡めた話です。
親友と中学校時代の恩師に会ってきた
今回の休みを利用して地元に帰り、小学校から付き合いのある親友Yと中学
校時代の恩師と会ってきました。
その先生には自分もYも非常に大きな影響を受けており、日々の学校生活や授業に加え、生徒会顧問としても中学校での青春を一緒に過ごさせてもらいました(わたしもYも生徒会に所属していたのですが、立候補したのもその先生が顧問をやるっていうのが理由のひとつとして大きかったです)。
自分とYが中学生だったのはもう20年前で、今回話を聞いて驚いたのが丁度わたし達の今の年齢とほぼ同じくらいに我々の指導をしてくれていたことです。
よくよく計算すれば確かにそんなもんだろうとなるのですが、これには驚きました。
あのときの先生と同じ年齢になった今、あんなふうに10代前半の子どもを導いてあげられる大人になれているか?というと全くの疑問です。
正直、精神年齢は先生に指導していただき、時には叱られ、時には一緒に笑い転げていたあの頃と大して変わってないんじゃないかと自分では思います。
3人との時間、思い出話は付きませんでした。覚えている限りのエピソードをほぼ話尽くしたと思います。もちろんそのときはタスクシュートも日記もつけていなかったので、記憶に残っているエピソードを話しまくった感じです。
自分が印象に残っていたけど先生やYは覚えていなかったこと、逆もしかり。
そして3人が共通で覚えているエピソード、いろんな思い出があり、それを3人で振り返る時間はとても豊かなひと時でした。
これは大学院生に導き出した自分なりの結論なのですが、思い出の価値というのは、その思い出を一緒に作った相手と振り返る時間に発揮されると思っています。
つまり、「あのときあんなことがあったよね」「こんなことをしたね」という話をその思い出を作った人たちと今現在の同じ場で共有できる、つまり今もその人達とそういう関係・つながりがあることに価値があると思っています。
そうなると過去の思い出のエピソード自体の内容や質の価値は、実は二の次になります。それを一緒に振り返れる、共有できる現在の時間が豊かなものなのです。
人生における価値というのは、現在にしか現れてきません。過去や未来には価値はおけない、そう思うのです。
今回の食事の思い出が5年後、10年後、はたまた20年後に「豊かな時間」をもたらしてくれることを祈って。
今日はこのへんで。
ありひとでした。
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