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#003.タスクシュートで残すログは「時間のビオトープ」になっていると思う

こんにちは。「タスクシューター界のジェームズ・ボンド」ことありひとです。

前回、タスクシュートの特徴を大きく3つ紹介しました。そのうちのひとつに「3.完了したタスクを消し込まず、開始時間と終了時間を記録しログとして残す」というのがありました。

要は、タスクシュートを実践していくとその日やったことに対して「いつやったのか?」「どれくらいかかったか?」という記録(ログ)が残っていくということです。

今回はそのログに対して、感じることをつらつらと。

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この2年弱、朝起きてから就寝するまでにやったこと(それこそ仕事のタスクはもちろん、食事や家事、トイレといった生きる上で必要な時間まで)をすべて記録していってつくづく思うようになったのは、タスクシュートに残るログって「時間のビオトープ」みたいだなってこと。

ビオトープっていうのは、日本語だと「生物空間」とか「生物生息空間」とか訳されるらしく、大きめな水槽に水草や魚を入れて、そこに小さく区切られた自然と生態系を作って観察したりするもの(Wikiをみると、厳密には「生態系」とも区別されるもので、転じて、「生物が住みやすいように環境を改変することを指すこと」といった意味あるらしいが、今回はざっくり小さな生態系をイメージしてもらえれば)。

なので、ビオトープは「動物を飼ってる」状態とはちょっと違う感じがある。環境だけ整えてあげて、あとはそこにいる生態系に委ねる。無理に繁殖させたりとかもせず、極力自然と同じ状態で、その生態系のなかで起きていくことを観察する手法(だと思っている)。

で、タスクシュートの日々のログはそれに近いと思う。

タスクシュートをプラン(「「今日一日で必ずやると決めたタスク」を実行順に並べたリスト)をあらかじめ作って上から実行していったとしても、とりあえずノープランのままやったことだけの記録を残していったとしても、どちらにせよタスクシュートに残るのは「実際にやった(やれた)こと」しか残らない。

その日の朝に「いくらこれだけはやるぞ!」決めてたタスクがあったとしても、実際にやれるかは別の話。それはなんでかっていうと、リストに

• タスクA
• タスクB
• タスクC

っていうふうにタスクシュートにタスクが並んでて、「タスクB」が今日一日で絶対やらなければならない(と思っている)タスクだったとする。

でも、家庭の事情とか生きていくうえでその前に「タスクA」を先にやらなければいけないからこういう順番にしている。

で、実際にタスクAを実行するとここで、「タスクAを実行したこと」がリストに作用する。

例えば、タスクAが予想していたよりずっと時間がかかって見積時間を大幅に超えて、タスクBに取り掛かる時間がなくなった、とか。タスクAをやったことで、タスクA’という割り込みタスクが発生してしまったとか、とか。色々考えられる。

いずれにせよ、言えることは2つ。

  • 実行する前と後では天と地の差があること

  •  実行後にどうなるかをコントロールできるわけではないこと

これってもう「時間の生態系に委ねてる」し「委ねるしかない」世界の話だと思うんですよね。

なにかタスクをひとつ実行すると、自分の時間の生態系にゆらぎが動きが生じる。

前段では見積時間と割り込みを例に上げたけど、そういった目に見えるゆらぎじゃなくて、「なんかタスクAやったらぜんぜん良いことなくて、Bやる気にならなくなっちゃった」みたいな感情からくる、目に見えないゆらぎもあるかもしれない。

こういうゆらぎによって、刻一刻と変化していく時間の生態系がリアルタイムに可視化されてるタスク管理メソッドって、わたしが知る限り現状タスクシュートしかない。

例えば、実行したいタスクを優先順位順に並べた一般的な「TODOリスト」。

TODOリストに並んでいるタスクは実行されたタイミングでチェックがつく or 二重線で消し込まれるので、完了したかどうかはわかるけど、前段どういうことがあってこのタスクに取りかかれたか?とかこのタスクが完了したことによって時間の生態系にどういう影響を与えたか?という記録はまったく残らない。

だからTODOリストからはあんまりビオトープ感を感じない。実行したタスクをいつ・どれくらい時間をかけて、(もっというと)なんのタスクの後にやって、後ろにどんなタスクがあるかが自然と残っていくタスクシュートならではなんだよなぁと。

てな感じで、タスクシュートのログって「時間のビオトープ的だな」と思った話です。

今日はこのへんで。ありひとでした。


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