喜連川社会復帰促進センターに行ってきましたという報連相...相抜きで。

昨日ですけども(11/23)。
中の見学などもさせてくださって、色々考えています。

早速脱線するんですけど…(タイトルに偽りあり)。
今、塀の中、フェンスの中、っていうとガザ地区のことを思い浮かべてしまって、なんというか、今更ながら、私は呑気に生きれているなと思いました。

で、受刑者の方の置かれている状況を思うと、また色々考える。
再犯を防ぐ、とか、社会に復帰する、とか…
私は塀の外を生きているけど、特別善良というわけでもなく。
たまたま、刑事罰を受けるようなことをせずにここまで来れただけで、それはほとんどが恵まれていたから(運がよかったから)、に尽きると思う。
規則正しい生活…集団生活…冷暖房なし…できない…と思うと、いまこの施設にいる方達より、私はかなり自堕落な生活している…というなぞの焦り。

そんなわけで、食事作り、運動、勉強、しよう…
と、妙にはりきっているなう、です(1日坊主感)。

あと、公開イベントの中でご当地アイドルさんがステージに立っており。
この前の那須の映画イベントでも別のご当地アイドルさんの活躍を見て。
オタクの血がちょっと騒いでいます。
オタ芸とか本気でやったら絶対たのしい…あれ(合いの手や振り、手拍子などに抜かりないファン)は、アイドルを更に輝かせるためのエフェクト…主役はあくまでもアイドル…そういう生き方、滾る。

ガザとアイドル、同じ地平に置くなよと言われそうですけども。
一人の人間を通せば、わりとなんでもつながるといえばつながる…。
ということは、複数人の人を通したら、さらに広がるしつながる、と思う。ので、なんか諦めてはいない…(しつこい)
平和ボケ平和ボケと散々言われた日本。
いじめとか縦社会、見えない所での暴力、あげられない声、たくさんあったと思うので、実はそんなに根っからはボケられなかったんじゃないかなぁ…と思っていて。
その、ボケきれなかったエネルギー、バカみたいに人が良かったりするエネルギー、なんか、人が笑ったり、元気づけられたり、直接じゃなくても、そういう力に変えられる機会ってまだまだあるんじゃないかと思う。少しずつでも。

あ。イベント会場に消防士さんも来ていて、空気ボンベを背負わせてもらったんですけども。しかも、面体つけて空気も吸わせてもらったんですけれども(貴重な体験をさせていただいてありがとうございます)。
視野が狭いし、視界はよくないし、これをつけて煙の中に行くの本当に命懸けじゃないか、と、今更ながら知りました。
消防士、という仕事はなんか…め組の大吾とか読んでいたので、ざっくり知った気になっていましたが(オタクのよくないところ)。
命が実際に懸かる…懸かってしまう、懸けざるを得ない仕事をしている人はそこらじゅうにいるんだなぁ…(呑気…)。
道路工事の現場とか、停車ついでに見ていても思いますけども。
重機とか、扱いを一歩間違えれば本当に危ないですし。
農機具だって、農作業だって、人が亡くなる事故とかは耳にしたりする。
その中で、熱中症とか感染症とかもある。
けど、分業しながらどうにか社会を構成して、回して、そのなかでそれぞれができることをやっている。仕事をしている。
(そして、呑気に休んでいる私が、いる…ッ)。

みんな、すごいなぁ… _(:3 」∠)_
私は朝からポッチャマとイーブイとピカチュウが椅子取りゲームしたり障害物競走している動画を見てニヤニヤしていたというのに…←社会を回す輪廻から逸脱した犯。…いや、動画というツールも今では社会の一員なので、私は動画を見ることにより社会参画しているのであってあもすぁう
料理とのコラボとか、ポケモンのASMRとか、いちいちクオリティ高い…公式チャンネルの本気がパない。
というかポケモンと伝統工芸の…

はっ、脱線がひどい。
で、これを書いている私が私なので(?)、話がどうしても映画か本につながってしまうんですけども。

昨今、俳優さんをAIに、みたいな話をちょいちょい見かけて。
技術的なことは全然わかってないんですけども。
実際にグラビアアイドルさんとか、AIのCMとか実際あるっぽいですけども。
なんというか、ものづくりを本気でやってきた人で、それでいいやっていう人どのくらいいるんだろう…
私のイメージだとファイナルファンタジーの映画みたいな綺麗さ…くらいにしか想像できていないんですけども。あれはあれであって、クリエイターさんすごいけど、イコール俳優さん不要、とは微塵も思わない…。
なんでだろう…とアホなりに考えたのですが。

未知数がない…?AIへの理解が足りないのもある。
けど、最適解は出せても、私にとっての未知は出せても、創造を生む創造、熱量、そういう非言語のもの…人のプラン、人のプログラム、過去のデータ、の域を出る何か…わくわく…みたいなもの。
人が他者の中に見て一番輝く…未知数…そういうものがあまり…なくはないか…でも、やっぱり人間を生きているから、人間に見てしまう。情けなさも、弱さも、醜さも、痛みも、自分にある…からこそ、それを越えた、越えようとした命…の、輝き…(??)。

じゃあハラスメントがどうとかぐちゃぐちゃ口出さんかったらええやろがボケカスコラァ素人が永久に引っ込んどけやボケェこのゴミカスぅあぁあ?みたいに絡まれると困るんですけども(映画関係者を何だと思っているのか)。

いや、なんか、ハエみたいに映画まわりをプンプンしていて思うんですけど。
やっぱり映画ってすごいと思うんです。知れば知る程。
だからこそ、ハラスメントをハラスメントとも思わずに頑張りぬいてしまった、生き抜いてしまった方達が少なからずいるのでは…と思う。
俳優部に限らず。

そう。今日歯医者さんで、またごりごりぐりぐりギュインギュインされながら思ったんですけど、これを正気で受け止められるのは、この施術している人が歯科医師だとわかっているからなんです。
これが全く知らない信用のおけない他人オブ他人だったら、治療なのかどうかすらよくわからなかったら、普通に拷問…だから小さなお子さんにとって歯科医院はこわい…私もこわい…育て、私。
医学自体、数多の動物実験、明らかにされていないかもしれない人体実験など、負の歴史の上に在る部分もあり…
そういう全部の上に立って、今という時間があるんだな、と思いながら歯の型を取ったりしたんですけども…(余計なことを考えてお口をゆすぐ勢)。

俳優部、映像制作、製作、その関係者、家族、もろもろ全部。
一人一人、その地層。さらにその社会の歴史。文化が構成されるまでの命や時間全部。人間というのはそういう不思議を生きていて、果てが無い。果てがないから迷い、選択に疲れ、自由という責任を手放したくもなる。
と思うと、私って本当になんにも知らずに生きているなぁと思うんです。
そういう人間に、映画(に限らず)がもたらしてくれるものって、やっぱり、人を通ったなにか、だと思う…
説明下手ですみません…

だから、雑な結論を出すことにしますが、私にとって俳優という職業(性別年齢問わず)は、ずっと、人が人であるかぎり、ずっと不要になることがない、と思います。
稼げるか、食いっぱぐれないかどうかは別として。(それは構造の話…)。

あ、ムロさんのドラマがはじまるので終わります。
その節は田舎の映画祭にがっつり来てくださってありがとうございました。
なんか、その芽はしぼんでしまいましたが、なにも蒔かれなかったわけではなく、なにかは芽吹いてます。栃木県。映画。
社会。復帰する場所としての社会。
色んな生物多様性、共生できるように、生きましょう。うん。
刑務所に入ってしまった方が、出られてよかったと思えるような場所に。

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