ママン別居日記91(高原に咲く花)
高原に咲く花があまりに綺麗だったので、根から掘り起こして家に持って帰りました(とこれは架空話です)。
さてその後は、
①、枯れてしまう
②、根付いて咲き続ける。
理由は、
①、気候や風土が違い、順応できなかったから。
②、環境の変化に必死に順応したから。
では。②の花は、変化が無いと言えるのかぁ…?
命を保って咲き続けているという意味ではオンナジ、ですよね。
もともと美しい花。
視覚的には同じかもしれません。
でも、本当に差はないのでしょうか?
日本語には「咲き誇る」という形容の仕方があります。
A、 高原から庭に移されて咲く花
B、高原で咲いていた時の花
Aは、この形容が当てはまるでしょうか?
Bは、この形容がぴったりだったのではないでしょうか?
目に見えるものだけが絶対という科学はもう古いと思います。(昔よくバラエティ番組に出ていた大学教授さんが、証明できないもの以外は絶対信じない、証拠を示せとよくやり合っていましたが笑)
目に見えるものだけが全てでないことは、実は誰しも知っているし、感じていると思います。
(声高には言わないけれど)
その花を取り巻く“気”のようなもの。
“生気”といえるでしょうか?
何も花だけの話ではなく、
人も同じ。
咲き誇れる場所にいることが大切なのだと思います。
生命を受けた以上、活き活きとしていられる場所が大切。
そうして私は、家を出ました。
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