既に完成したものじゃなく、自分で作るから意味があり価値がある。
新年に録画しておいた「NHKにんげんドキュメント『光れ!泥だんご』」を観た。
おいおいと泣いてしまった(´༎ຶོρ༎ຶོ`)←泣き虫
保育園児が自分で作っている泥だんごがあるのに、完成しているピカピカと光る泥だんごを「あげる」と渡されたら保育園児は一体どうするか?という実験をしたら…
その場で戸惑い硬直してる…
数分したら完成した泥だんごを地面に置いて自分の泥だんごを作り始める、または完成した泥だんごを返しにくる
ところを観て、『ああ、そういうことか』と思った。
僕たちは完成しているものを手に入れて喜ぶ場合もあるかもしれないけれど、プロセス、行程に意味があり、自分が作ったからこそ価値があるんだということ。
例えば、プレゼントとして高級な物を渡されても、感動ピークは渡された瞬間でそこからどんどんと感動は減っていくそうです。
一方、苦労してお金を貯めて買った物は、それまでの自分の努力もあるから感動が違うそうです。
プレゼントととして完成した泥だんごを渡されるよりも、自分で作った泥だんごの方が、欲しい、嬉しい。
作る途中で割れたり潰れたり、失敗したからこその経験が価値になっていく。
2001年に放送されたドキュメンタリーだったけれど、人間の本質を観た気がする。
俺にもあったあの純粋さはどこ行ったんだ(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
プロセス、行程に価値がある。
これは何か他のことでも言えると思うんです。
例えば、自分に応用したらさ、道なき道を歩いて自分の道を拓いて仕事をしていく感じ。
誰かにやらされているわけでなく、自分がやっていることに意味があり価値がありそれに猛烈に感動するんですよね。
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