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日本の音楽プロデューサー、MASATO 氏の楽曲、カッチーニのアヴェ・マリアをオマージュにした作品のスペイン語歌詞と英語での説明、テレップの日本語訳の翻訳を担当させていただきました。歌詞はスペイン在住のシンガーソングライターのCarlos Moratella氏が担当し、日本のソプラノ歌手、北原瑠美氏がコーラスとイメージビデオに出演しています。
コロナ禍の世界と人類の原罰がテーマになっている歌詞が非常に印象的です。
こちら、YouTubeで再生できます。
YouTube→ https://youtu.be/bo7IBpygsbU

”Gracias a Dios” 神がいる世界、ラテンアメリカ

ースペイン人アーティストの感性と日本語話者が理解できる世界観との間でー

スペイン在住のシンガーソングライターのカルロス氏オリジナルのカッチーニの『アヴェマ・マリア』はカトリックのマリア信仰がベースになる歌詞で、彼が何気なく歌詞に用いる言葉は旧約聖書に出てくるエピソードに基づいていて、そこを汲み取ることで歌詞の理由がわかってきます。

グアテマラは85%以上の人がカトリック、もしくはキリスト教徒で、毎週ミサに行く人もたくさんいますし、町の作りが、どんなに小さな村に行っても、教会を中心にした中世の街づくりデザインに基づいていて、まず中央には教会が(もしくは大聖堂)があり、公園、市庁舎があり、そこが中心となりカフェや商店と商業施設が立ち並び殊に賑やかなスポットとなっています。祝日やお祭りも町の守護神とされるキリスト教の聖人たちの日や、教会のお祭りの日などが非常に重要な日であったり、道や町の名前にもキリスト教の12使徒の名前がよく登場しますし、何気ない生活にキリスト教的な感覚が意識しなくても根付いていると言えます。

"Gracias a Dios, ¡todo salió bien al fina!" (神のご加護で、最後は全てうまく行きました。)
"Gracias a Dios, estamos están muy bien." (神の庇護の下、みんな元気にしています。)

グアテマラ人と話すと、1日に何回"Gracias a Dios"という言葉を聞くかわかりません。もしくはよく使われるのは、"Primero Dios," (まずは神のご意向次第、それに任せましょう。)

人々の生活の中に一神教の創造主、神の存在が自然と根付いていて、別にかと言ってとても信仰深いというわけでもなく、日本でいう『お陰様で』とか『ご縁があれば』くらいの気持ちで出てくる言葉なのだと思います。

「神のご加護でー、」なんて言葉はこちらに住んでいても咄嗟には出てきませんよね。w

さて、歌詞のタイトル、”アベ・マリア“ とは誰でしょう。

ラテンアメリカでもスペインでも、マリア信仰というのがあります。聖書によると聖母マリアはイエスを宿した女性で彼女にはヨセフという夫がいました。彼女は神の啓示でイエスを宿し生み育てますが、彼女自身は神でもなければ救世主イエスでもなく、最後は聖人として昇天しますが、人間の女性としてこの世に生を受けました。マリアは母なる大地として、この世に生を育む生みの母、愛の象徴としての信仰はもちろん各地にあるものの、地上に一人の人間として生まれ人間として一生を終えるので、神や救世主としての立場で持つ視点よりより人間寄りの感性に近いと考えることもできます。

パンデミックと地球環境の破壊が進むこの世界で、彼女に (または地球に)そっと人間の過ちについて問いかけを続けるカンタンテ

"Si pudieras hablar, ¿qué nos dirías?" 
もし声があるのというのならば、われわれになんて言うのだろう。

"Perdónanos tanto dolor, acógenos en tu interior"
あなたに与えた痛みを許して
我々を深く抱きしめて

"y danos pan, si puedes hablar, tú que estabas, has estado y estarás"
パンをお与え下さい
もしその声が私に届くのなら
遥か遠い日から永遠の存在であるあなた

聖書では何度も蜂蜜やパンという言葉が出てきます。いずれも地上の糧、食糧という意味であったり、パンはイエスの身体を表したりします。

tú que estabas, has estado, y estarás
という表現は非常にスペイン語らしい表現ですが、
que estabas は文法的には、estarの過去を表す表現ですが、具体的にいついつから始まっていついつに終わったという明確な始まりと終わりがありません。いつからか分からないけど、きみはいたんだ。ということが分かります。
has estadoは、現在完了形で今までずっといたんだっていうこと。
y estarásは、未来形でこれから先もいるんだっていう意味。

母なる大地、地球はいつもわたしたちに恵みを与えてくれる存在としてあり続けていますが、明確にいつから始まりがあったということが言えるわけでもなく、ただずっと昔から現在もこれからも存在している人間である私たちにとって大切な存在なんだということが分かります。

"Si nos pudieras hablar, ¿qué nos dirías?"
pudieras, dirías というのは反実仮想ですから、実際には決して起こり得ないことを、もし起こるとすればと仮定して想像するときに使われます。

そう。答えてくれるなんて、起こり得ないことなんです。

その辺りのスペイン語の表現がなんとも切ないし、深みがあるところです。






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