京都散歩14:その姿は心の奥の何かを揺さぶる「木嶋坐天照御魂神社」と「広隆寺」
お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
昔から定期的にみる夢があります。。。
夢の中の自分は小学生くらいで、どこかの博物館の様な建物の中にいて、目の前のとても大きな両開きのドアを開くと、倉庫の様な空間にとても大きな仏像(立像)がずらりと向き合って並んでいる。
ドアは仏像の頭くらいの高さにあって、先のほうまで何体も整然と並んでいるのを、見おろす位置から一人でみてる。。。
怖いわけでも驚いているのでもなく、ただ茫然とそこにいる。
その夢には前後はなく、このシーンのみで目が覚めます。
子供のころに実際に見た景色が誇張されたものなのか、頭の中で勝手に作りあげたイメージなのか、今となってはよくわかりません。。
【202年6月15日】
京都検定2級対策で市内のスポットを散歩して記録しています。
今回は「地下鉄東西線 太秦天神川駅」から「木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)」、「広隆寺」まで歩きます。
木嶋坐天照御魂神社 (蚕ノ社)
「このしまにますあまてるみたま」
創建は不明ですが、秦氏ゆかりの社とのことです。
嵐電天神川駅から一駅先に蚕ノ社駅がありますが、見えるくらいの距離感なので徒歩で移動します。
駅前に「一の鳥居」があります。
一の鳥居から社までは参道ということでもなく、マンションや住宅が並ぶ一般道です。
少し歩くと二の鳥居に到着します。
寺社の写真は正中しないのが基本ではありますが、今回失礼して撮影しました。
どちらの寺社に参拝しても、境内に入ると空気が変わる感覚がありますが、こちらは別格に感じます。
被さるような木々が外の暑さと音を和らげ、その木々たちの香りが漂っています。
拝殿に向かいます。
決して煌びやかな造りではないのですが佇まいが美しい。
本殿へ。
誰もいません。。
いつも決まったお祈りの言葉があるのですが、周囲の雰囲気にのまれているのか、うまく言葉が頭にイメージできません。
深呼吸してから改めてお祈り。
参拝を終えて、実際に見たかった三柱鳥居に行きます。
三柱鳥居
京都三珍鳥居のひとつで有名です。
※三珍鳥居:京都御苑(唐破風鳥居)、北野天満宮(伴氏社)
グーグルマップで見ると池の中にあるようになっていますが、今は枯れていて石積みがそのころの名残の様です。
柵で囲われていて近くには行けません。
三柱の中心に石が積まれています。
不思議な鳥居です。
一説には秦氏と縁の深い、下鴨神社、伏見稲荷大社、松尾大社方面を向いているとも。
椿丘大明神(白清社)
境内にあります。
とても鬱蒼とした木々が覆っている小道を入ります。
その手の感覚が鋭いわけではないのですが、この先はさらに少し何か違う。
写真は遠慮したほうがよいと感じたのでこの先は実際にご参拝ください。
静かな境内はとても神秘的でした。
私には、どこか思考がまとまらなくなるような不思議な場所です。
次に広隆寺に向かいます。
歩いてもそれほどの距離ではないです。
広隆寺(廣隆寺)
頂いたパンフレットから。
「広隆寺は推古天皇十一年に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺院のひとつである。
日本書紀によると、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれをご本尊として建立したとあり、そのご本尊が現存する弥勒菩薩であることが広隆寺資材交替実録帳をみると明らかである。」
だれもが学校で習った、国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像があるお寺です。
長く京都にいても太秦方面はどうしても足が向かずにいたので、初めてご参拝となりました。
楼門
境内に。
薬師堂
「阿弥陀三尊立像、薬師如来立像、不動明王、弘法大師、理源大師、道昌僧都を祀る」
講堂(重要文化財)
何か作業をされていて近くまでは入れませんでした。
とても残念。
「俗に赤堂という。中央に西方極楽浄土で説法をされている印を結ぶ阿弥陀如来坐像(国宝)、地蔵菩薩坐像(重文、虚空蔵菩薩坐像(重文)を祀る」
地蔵堂
「平安時代に我国繁栄のために、弘法大師が諸人安産、子孫繁栄の御誓願に基き御制作された腹帯地蔵尊である」
太秦殿
「太秦明神、漢織女(あやはとりめ)、呉秦女(くれはとりめ)を祀る」
上宮王院 太子殿
「本尊に聖徳太子を祀る」
メモに記載した聖徳太子御火焚祭りの際に特別開扉されるとのこと。
参拝受付をして中に。
霊宝殿
今回全く予備知識を持たずにお邪魔しました。
国宝の弥勒菩薩は拝見することができるのだろうと思っていたのですが。
入った瞬間に射すくめられました。
少しの時間茫然としてしまいました。
照明を落とした薄明りの中に整然と仏像が並んでいます。
中心には弥勒菩薩半跏思惟像、相対して十一面千手観世音立像、千手観音坐像が見上げる大きさで間近にいらっしゃいます。
多くの国宝、重要文化財が一か所に並んでいるのはもう奇跡としか思えない。
すべての仏像に躍動感や、長い年月を辿ってきた気品の様なものが感じられます。
あー。語彙力が乏しいのがもどかしい。
特に弥勒菩薩像は、動き出しても不思議ではないし、何か語られているような、そこから動けなくなる、気持ちごと吸い込まれてしまいそうな力があります。
この気持ちは畏怖なのか感動なのか。
どうして今まで来なかったのだろう。。
拝観を終えてお寺を後にします。
今回訪れた二つの場所は、大げさかもしれないけど、訪れる前と後では何か自分が変化したのではないかという気持ちになりました。
なんとなく上気した、もしくは足元がふわふわした感覚のまま、嵐電に乗って帰る途中にふと冒頭の夢がよみがえりました。
連れてきて頂いたのだろうか。。
今回はこちらで終了です。
それではまた。
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